一つ前の記事では「なでが突然逝ってしまった」という表現を多用しましたが、なでの死が「突然死」にはいるのかは分かりません。
というか…なでの死因は分からないです。
ずっと闘病してたけど、最後の数日ずっと苦しそうにしていたのは確かだけど、でも死んでしまうなんて先生も思ってなかったんです。
あの日あの時、突然起こった「えっ、どうしたの?!」から時間にしたら多分1分ももたず、なでの魂は体から抜けてしまいました。
私はバカだからバカみたいになでちゃんは猫だからって、能天気に10年も20年も(猫の寿命)ずっと一緒にいられると思ってました。
本当にそう思ってたから、ずっと一緒にいるために、猫をお迎えするその責任としてなでちゃんの最期の時をちゃんと自分のこの目で見届けてちゃんとこの手で見送ってあげるために、私もそこまではちゃんと生きていなきゃならないなって、それまで全く興味がなかったサプリなんかを飲み始めたりして。本当にずっと、まだまだずっと先まで一緒にいられる未来しか見ていませんでした。
腎臓型リンパ腫の治療を始めるとき、先生に「完治したとしても一度腎臓をやってる子は20年は難しいかもしれません」って言われたけど、でも「まだ若いから10才は目指せます」って事だったから、じゃあ少なくても10年は一緒にいられるんだって本当に心からそう信じて疑ったことすらなかったんです。
だからずっと、バカみたいにずっと、「これが治ったら」「これが治ったら」「今度こそ」「今度こそ」って本当バカみたいに病院ばっかり…
亡くなった時なでは4才2ヶ月でした。
たったの4年しか生きていないのに毎年何かしらの病気でずっと通院してました。
ずっと頑張ってきてくれたなでちゃん
私は今ペットロスでしんどいと前回の記事で「どうして今回だけこんなにしんどいのか」を自分なりに分析してその理由も書きましたが、理由はその一つだけじゃなくて、今日これから書くことの方が多分大きいと思っています。
まだまだ一緒にいるつもりだったのに突然すぎるさよならを受け入れられていない
もちろん、膝の上、座椅子の横、足元、パソコン横のキャットタワーって常に視界に、ずっとソバにいたなでちゃんの姿が、どこにいたってピッタリくっついてきてたなでちゃんの思い出が、部屋のどこを見たってその全ての場所になでちゃんをまだありありと感じられるこの部屋だからってこともあるけど…
これまでの子達も全員それなりの期間、闘病をして、でも最後にはみんな…「頑張ったね」って心からそう言えてきました。
だから、お別れは寂しいけど前を向いていられてたんです。
でも、なでは…なでだけには、どうしてもそれが出来なくて。
私はまだ全然なでの死を受け入れられていないんです。
ずっと「さぁ、これからだ」って4年間ずっとその先ずっと一緒にいるためだけにやってきたから
今日は闘病の様子や最期の時のことを書きます。
同じような経験をしてまだつらい思い出が消化できていない方はつらくなったら画面を閉じて下さいね。
これは私の独り言だから。どうかムリして元気になろうとしないで下さいね。
なでは、夫の単身赴任先の会社の駐車場で1人で声を枯らして鳴いていた子です。
目ヤニで両目が開かない子猫を駐車場に一匹ぽっちで「そのままにしてたら危ないから」これが我が家に来ることになったきっかけです。
2021年5月生まれ(予想)
-

飼えないのに野良の子猫を拾っちゃった話し
「会社に子猫がいてさ」 「うん?」 「会社の人が役場のなんかそういう所に電話してくれたんだけど、明らかに病気だからか子猫 ...
続きを見る
病院へ連れていったら猫風邪とコクシジウムに感染していました。
アイキャッチの写真が可愛すぎるから貼らせて下さい。
-

子猫とフェレットとコクシジウムと感染症
この数日、たった数回の事で早くも「いたちのおうちがSNSに猫の投稿をしている」事を快く思ってない人がいると教えてもらいま ...
続きを見る
-

コクシジウムの子猫のお世話でフェレットに感染させないように気を付けてること
こんなメールが届きました。 はじめまして、先日の子猫とフェレットとコクシジウムと感染症という日記を拝見してメールをださせ ...
続きを見る
2022年 撫子1才
やっとどちらも陰性になってから、ワクチン接種をしに行ったり、不妊化手術をいつにするかどこでするかで病院を回ったり、そんなこんなでかかりつけの病院が決まるまでの1才前後までになでは何件もの病院へ行きました。
-

災害時に猫を守るための備え お迎えから1年の間に我が家でやった事
今日のアイキャッチ画像のなでちゃん滅茶苦茶可愛くないですか? こんなにオシャレに可愛く見えても、これ実はエリザベスカラー ...
続きを見る
2023年 撫子2才
2才になってすぐの2023年6月
色々やっとちょっと一段落かなって何気なく撫子を見たら、は?何?ケガしてるじゃん、何で?どうして?何が?ってパニくって慌てて病院に電話をしたらこれは慌てなくて良い症状だそうですが念のためにって予約を入れてもらいました。
症状:痛がったり痒がったり特に無し、食欲、便、尿、全て普段通り pic.twitter.com/rrJkqKNkui
— 滝川️いたちのおうちの中の人 (@MaikoTakigawa) June 3, 2023
これが何なのかかかりつけの病院で受けた診断がどうしても腑に落ちず(フェレットと喧嘩したんじゃないですか?って言われて絶対そんな事は有り得ないから)、セカオピ先で「健康診断でもらったフィラリア予防薬があわなくてかぶれちゃった「接触皮膚炎」でしょう」と診断され納得しました。
後日談になりますが、なでは他の薬品でも「お薬かぶれ」を起こしたので、「そういう体質なんだな」って。
3才になる少し前、なでがご飯を食べなくなったことからまた色々あってかかりつけの病院を変えました。
2024年 撫子3才
腎臓型リンパ腫で抗がん剤を使った治療を開始しました。
-

元野良猫に抗がん剤なんてって思うあなたへ 腎臓型リンパ腫が見つかった経緯①
いたちのおうちをお読み頂いている皆様、Twitter(現X)を見て下さっている皆様、にはもうおなじみですが、我が家には猫 ...
続きを見る
2025年 撫子4才
こんな事もありました。

抗がん剤を使った治療について、それこそそれはどなたかのお役に立てそうなので落ち着いたらまた改めて記事にしようと思いますが、なではちょっと無理やりっていうか状況からの判断みたいにはなりますが「抗がん剤の治療はいったんここで終わりにしましょう。ここから1年再発がなければ完全寛解という事になります」って言われたんです。
1年4ヶ月かけてずっとずっと頑張ってきて、腎型リンパ腫に勝ったんですよ、なでは確かに病気に「勝った」んです。
なのに、その翌日
やっと本当に「さぁこれからだ」って言ったじゃん
リンパ腫に勝った翌日、なでの呼吸がおかしくて病院へ行きました。
定期通院の翌日
窓際でいつもの様子かと思いきや明らかにおかしいから先生に見せる為に撮った動画
運動直後などではない安静な状態でこんな風に鼻をヒクヒクさせる呼吸は『鼻翼呼吸』といって呼吸が苦しい時にみられる症状
お腹(胸)の動きからしても「すぐに病院へ」の典型
もちろん急いで行きました pic.twitter.com/iXMpLdWIQD— 滝川️いたちのおうちの中の人 (@MaikoTakigawa) July 21, 2025
「肺炎を起こしてる」って。


「これはちょっとよくないかも…です…」って言われました。
抗がん剤の副作用で白血球の値が下がりすぎてるなではもうずっと抗生物質(抗菌薬)もステロイドも服用しています。
・抗生物質は肺炎の治療薬
・ステロイドは肺炎(肺の炎症)を抑える薬
肺炎になるはずがないんです。
それでもなっちゃったという事は『薬が効かない肺炎』を患ったのかもということ。
その前日には先生が気づかないほど症状が出ていなかったのに今日すでにこの状態なのはいわゆる『急激な悪化』。
いつもにこやかな先生が見たことない真剣な表情で、でも言葉を選びながら慎重に説明してくれようとしている時点である程度は察しましたが、私も実際に同じような症例で数時間から数日でなすすべなくそのまま亡くなってしまう子たちを何匹も(フェレットでも猫でも)見てきて知ってるから…
ちょっと思い出せないな、あの時の私はどんな感情だったけかな…
ただ、超希望的観測ではありますがという前置きがあったうえで、なでの場合、ずっと服薬してる事によって「その薬の耐性がついちゃっててもう効かなくなってる事によって」この状態になってるのかもしれない、それならば「薬を変えたら治る」それで治れなければ数日以内で…って事でした。
私はその時、なぜか「なではそっち(治る)だ」って思いました。
でも、帰ってきてから色々と調べてたら『そんな楽観的な話じゃないこと』ばかりが出てきて、もう祈るしかないのか?なんだよ「この数日が山」って…もう完全に情緒不安定でした。
なんだやっぱり「さぁ、これから」いよいよ健康になって楽しい時間が始まるんだ
その日からなでがご飯をまったく口にしなくなりました。
このまま死んでしまうんだとしても出来ることはしてあげたい、別の理由で死なすのは嫌だと思ったその日、かかりつけの病院はお休みだったので近所の病院にこれまでの事を全て話して「せめて肝リピドーシスにならないようにしてあげて欲しいのですが」って行きました。
肝リピドーシス
そこで念のためにって撮ってもらったレントゲン

白いモヤモヤが薄くなっているのお分かり頂けますか?
治ってきてるんです。
やっぱり治らない肺炎じゃなかった!これが治れば今度こそ今度こそやっと何も心配ない体で生きていけるんだっ!!!
この結果を持って翌日にはまたかかりつけの病院に行く予定でした。
今度こそ本当に!さあ、元気になろう!ずっと一緒にいよう!
ここまでだいぶ端折ってて本当はもっと細かく書きたいけど、これは走り書きだから大まかな流れだけ。
肺炎と分かった日から、なでには私の寝室に設置した出入り自由にしてある酸素室にいてもらっていたのですが、「肺炎は治ってきてる」と言われたその日の夜中2時頃、「ガフォガフォ」みたいなこもった咳のような音が聞こえてなでを見たら、開口呼吸をしていました。
あの日から一時も収まる様子がなかった鼻翼呼吸もその時から始まった開口呼吸も呼吸困難のサインではありますが、その夜はもう横になれずに座ったまま(猫が呼吸困難な場合、横になるとさらに呼吸が苦しくなるため、座ったまま前肢を開いて胸腔を広げようとしたり、背中を丸めて呼吸を楽にしようとする姿勢が見られることがあります)大きく体を揺らしながら体で息をしている状態でした。
(死んでしまうかもしれない…)
酸素の玉を口元へあてて数分後には、このまま死んでしまうかもしれないという状態からは少し落ち着きましたが、明け方まで立ったり座ったり状態はあんまりよくないんだろうなという感じは変わらずで、だから翌日は病院へ電話をして今は動かすのが怖いこと、肺炎は治ってきているはずなのにちっとも良くなってる様子がないどころか死んでしまいそうに見えること、どうしてこうなってるのか分からないこと、を伝えたら、「体力が落ち切っちゃってること」と「また別の症状の可能性」を先生が考えて下さって、今度はそれに合わせたお薬を急いで郵送してもらう事になりました。
それが効けば今度こそ!だってリンパ腫だって寛解状態になったし、治らないでそのまま死んでしまう肺炎の可能性だって消えたし、今度こそ!今度こそ!
元気になる可能性を示唆してもらって私の気が晴れたのが伝わったのか、シリンジで垂らした1滴のお水すら口を泡だらけにして嫌がるようになってたなでが!見て下さい!!
すごいぞ!なでちゃん!
やっぱりちゃんと回復してるんだ。これならもう明日届くお薬ですぐ治っちゃうね!
突然のさよならに頭の整理も気持ちももう追い付かない
ケージは開いているのでトイレは自分がそれまで酸素室に入るまえに使っていたトイレまで行けるようにもなっていました。
夜8時ちょっとすぎケージから出て今度はリビング(私の所)までトコトコやってきて、随分、体調がよくなってきてるのかなと思った瞬間、ケッケッケって、これは猫飼いならみんな知ってる「吐く前のあれ」です。
いつものケッケッケとは少し違って聞こえたけどその動作はまさにそれだったので、おやおや!なんて思いながらペットシートを取りに行こうと立ち上がった瞬間、これまでに聞いたことのない野太い「ヴオオ」「ヴオオオッ」って声というか音を出しながら真っ黒い何かを吐き散らかしながらなでが転げ倒れました。失禁もしてました。
なでの処置が全て終わってからなのでだいぶ乾いてしまっていますが先生に見てもらうように撮りました。
何?え?どうしたの?なで?なで?
って抱きかかえたなでの目は見開いたまま瞳孔は完全に開ききっていました。
急いで出来る限りのことをしたけど、し続けたけど、なでの目も口もそのまま閉じることはなくて心臓ももう動いてくれることはなくて…
何が起きたのかまったく分からないパニックの中、それでも私は「もう病院に行かなくて良い体にやっと、やっとなれたんだね」って、なでをゆっくり布団に寝かしなおしてそう声をかけました。
もう大嫌いな病院には行かないからね、安心しておやすみ
赤ちゃんの時からずっと使ってた通院バッグ

もう毎週のように通院するようになってからは、このバッグをしまってある扉を開けただけでスイーっとどこかへ隠れるようになってしまっていました。
先生たちはみんなどこの病院へ行っても「超お利口さん」って褒めてくれてたけど、嫌だったね、頑張ったね。
ずっとずっと頑張ってくれてありがとう。

だから私はまずこのバッグを捨てました。
まだきっと近くで漂っているであろうなでの御霊が(こんなに苦しいゲーをしたからお母さんにまた病院に連れて行かれるかもしれない)ってビクビクしちゃってたら可哀想だから、さっき私の手で閉じたまぶたはもう開くことはないけど、冷たくなりかけてるなでの顔の正面でちゃんと「もう病院には行かないよ!だからこれはもうポイしちゃおうね!」って大げさなくらいのリアクションでゴミ袋にいれました。なでにもちゃんと捨てたことが分かるように。
本当は、なでの死因が知りたいです。
でも、もう病院には行かないよって言っちゃったから、最後の最後に嘘をつきたくないから病理解剖には出さないって夫とも話し合ってそう決めました。
だから、もう一生ずっと「どうしてなでは死んじゃったんだろう」って思いながら生きていく事にはなるんだけど、そのせいでずっとペットロス症候群が続く事になったとしても、それでも最後に、ずっと頑張ってくれてきたなでに「(もう病院には行かないから)安心していいよ」ってやっとそう声をかけてあげられたこと、それが母親として一番最後にしてあげられた「なでのためのこと」だと思いたいから…
「ずっと一緒にいようね」って言い続ける私に4年間ずっと頑張って応えようとしてくれてきた健気な娘。
可愛い可愛い私の娘。
ありがとう、ありがとう、ずっと愛してるからね。ありがとう。






