今日からちょうど6年前の2018年5月21日 とある著名な日本人登山家が亡くなりました。
彼の名は栗城史多(くりきのぶかず)さん
エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ、SNS時代の寵児と称賛を受けた。しかし、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。
デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場(単行本)帯より抜粋
昭和、平成、令和と生きてきまして、「登山ブーム」と呼ばれる現象は定期的に肌で感じてきました。
が、彼の人気はそれまでの登山ブームとは色が違い、完全インドア派の私でさえ顔と名前がしっかり一致する❝そういう意味でも❞とても有名な方でした。
彼の直接的な死因は滑落死ですが、そこへ至るまでの過程から、「栗城史多氏の死因は”そういう意味で”持ちあげられ続けたことにあったのではないか」と言われています。
彼にまつわるこのお話しは、我々、保護活動者(だけではありませんが)と、その周りにおられる皆さま…そう、ネット社会になった今の時代ではもう「みんな」にとって決して他人事では無いと、年々強く思うようになり、この機会にちょっと書かせて頂こうかなと。
無責任な応援が招いた悲劇
お笑い芸人を目指していた事もあるユーモアに溢れた若く人懐っこい笑顔が魅力的な彼は、有名なテレビプロデューサーの目に留まり、最初から「特別な登山家」でした。
「最初から特別だった」これが彼の悲劇のはじまりだったとされていますが、そこから降りるチャンスが最初から無かったわけではない、のではないかと…これはもう今となってはただのたらればになってしまいますのでここまでとし、更にここから先のお話は、私では上手くまとめられそうもないので、X(旧Twitter)より全文引用させて頂きます。
栗城史多氏について
2018年の時、ある登山家が死んだ
栗城史多という登山家で、日本では著名な登山家であるがそれは素人の中での話であり、アルピニスト達の中では侮蔑、無関心の対象だった
彼は登山家を名乗りエベレストに何回もアタックした人だが、専門家から見れば確実に登頂は不可能な人間である事が明白だったからだ
彼は七大陸無酸素単独登頂を目指し掲げたがそもそも七大陸のうち酸素ボンベを必要とするほどの山はエベレストぐらいのもので、他の山は酸素ボンベなど必要がない
そしてキリマンジャロは単独は禁止されガイドを帯同させるのがルールであるが単独登頂を主張している
「単独」「無酸素」という言葉は登山家にとって重いもので、その定義は登山家各各々で受け止め、掲げて登る
無酸素という言葉はエベレスト以外は使う必要性はなく、また単独という意味も彼の登山歴を見れば非常に軽々しく扱われている事が露になる
一般的な定義としての単独登頂はキャンプからルート工作まで全てを一人で行い、先行者のルート工作を一切使わず登り切る事を指すが、栗城氏は他者の固定ロープを使ったり、登山隊を帯同させたり、シェルパの支援を使ったりなどアルパインスタイルではなく極地法と呼ばれる方法を使っている
彼の最期の登山となった2018年南西壁アタックの際にも彼は単独無酸素を掲げていたのに対して、シェルパ四人が帯同していた事が明らかとなっている
つまり彼の掲げていた登山の多くは嘘で塗り固められていたものであり、彼個人の実力では一切なかった
彼の実力を経歴から見ていけば、彼よりも登れる登山家は山ほどいるだろう
彼は夏富士は八合目で撤退しなければならない程であり(夏富士は素人でも登れる程度の山)、ホノルルマラソンでは完走が6時間もかかっており、まるで登山家に必要な体力を有していない
彼はこれらの事柄をあまり隠すような事もしておらず、その度に識者たちに指摘され続けた
にも関わらず、彼の周りには支援者やスポンサーが集まり、講演会まで行われるほどであった
支援者は彼の実力など全く眼中になかった
栗城氏に求められていたのは山に登るポーズだけだった
しかしこれは登山であり相手は手加減してくれる人間でもなければ、落ちただけで済む記念受験でもない
山は平等に人に襲いかかる
2012のエベレスト挑戦で凍傷になり、右手親指以外全ての指の第二関節までを切断する事態になる
それでもなお彼は山から足を洗う事をすることはなかった
そして8度目にもなるエベレスト挑戦の2018年に滑落死。単独を掲げていたにも関わらず同行していたシェルパ四人が死体を確認した模様
結局8回全ての挑戦が失敗に終わりエベレストの頂上は一度も踏めず生涯を終えた
何故彼は指を9本も失い批判され続けても登ったのか
彼の人格は過去の恩師などが言うように話が上手くお調子者であり、それ故に無謀な挑戦にも挑んでしまう側面もあったかもしれないが、何よりも彼を死地に追い込んでいたのはスポンサーや支援者の期待や後押しであると多くの人達が指摘している
栗城氏の周りには多大な支援団体や会社が存在した
応援や支援などは本来素晴らしい行為であるが、それは実力が挑戦に敵うレベルの人に対してこそのものであるが栗城氏は高難易度登山に対して挑戦できるレベルでは決してなかったのは明白であり、支援者がそれらを本当に理解してなかったかは怪しく、また理解してなかったとしたらそれはそれで問題だ
登山における失敗は敗北だとか再チャレンジだとかそんな甘いものではなく、失敗=死になりかねない
栗城氏が掲げていた山々などまさに失敗の先は死が待ち構えてる危険領域
そんな場所に何も考えず放り出して安全地帯で応援だけしていた人物は栗城氏の周りには沢山いたのだ
逆に、栗城氏を批判した人達は山のプロフェッショナル達であり、山の危険性を警告し山から足を洗うか挑むに値する実力をつけてくる事を薦めていた
栗城氏の安否を何よりも気にしていたのは支援者達ではなく、アンチだったのは皮肉である
生前は彼らの言葉を聞かないどころか批判までしていたが
世の中には栗城氏の支援者達のような本人の安否やその後なんて何も考えておらず、応援する事だけどしか眼中にない人達は沢山いる
批判されたりする事は腹立たしい事も多いだろうが、無思考で無責任な発言をして煽ててくる人間達は更に恐ろしいのである
彼らはその後栗城氏を無責任に危険な山に送り込んでいた事への責任から逃れようとのらりくらりと逃げ、NHKですら彼らの批判よりも栗城氏の登山を批判していたアンチ側に責任を転嫁している始末だった
無責任に応援するだけの輩は決して責任など取ってくれる筈がないのである
栗城氏の35年という短い人生で得られた教訓というのは、山に登る挑戦する勇気でもなければ、何度も登り続ける気概でもなく、無責任に人を応援し続ける周りの人間程恐ろしいものはないと言う事実である
Twitterでも歪んだ考えや行動を外野が無責任に応援する事があるが、彼らは決して君のケツを拭いてくれる事はなく、そして深く君の事を考えて言ってるわけではない事を、この栗城氏の35年という儚い人生の生涯を思い返して自省して欲しいと願うばかりである
引用:ボト(@botomeze)さんX投稿より全文
神様と呼ばれた保護活動者が動物虐待容疑で逮捕
保護した犬や猫を劣悪な環境で飼育して虐待したとして、今月10日、京都区検に動物愛護法違反の罪で略式起訴、同簡裁から罰金刑を出された京都府八幡市内に住む、動物保護ボランティアの女性(50代)。女性の自宅では受け入れた犬や猫の数が増えすぎて飼育ができなくなる多頭飼育崩壊が起きていたとみられています。
2020年6月
動物保護の「神様」の家は「地獄」と化していた 目撃者が語る現場の実態: J-CAST ニュース【全文表示】
京都府八幡市内で動物保護ボランティアをしていた50代女性の自宅内から犬や猫の死骸が少なくとも数十匹も見つかり、警察も捜査 ...
www.j-cast.com
彼女はご自身の自宅を拠点にして25年にも渡り、殺処分を免れるなどした犬や猫たちを動物愛護団体から引き取って、新しい飼い主さんに繋げるボランティア活動をされていました。
一人で、
自宅をその施設とし、
25年にも渡り、
病気や高齢の犬や猫でも「あの人は絶対に断らない」って、
周囲からは「神様」と呼ばれた個人活動者さん。
とてもマネできることではないです。同じ活動者として頭が下がります。
ところが、ある時から「神様がおかしい」と噂がではじめて…いたのにも関わらず、「神様だから大丈夫」と彼女に起きていた何かは誰にも確認されることのないまま時は過ぎ、やがてしばらくの後に「いくらなんでもおかしいという話が多すぎる」と、さすがに心配になった愛護団体のメンバーさん達が預けた犬や猫の様子を確認するために神様の自宅を訪れ、そこで目にしたのは、放置された大量の排せつ物や放置されたままの動物たちの死骸。
そんなものすごい異臭がたちこめるその室内で飼育されていた犬や猫たち数十頭。
その場からの通報で彼女は後に「動物愛護法違反(殺傷、虐待)の疑い」で逮捕される事になるのですが、こちらは「なぜそれが起きたのか」について取材されている記事になります。
「神様」のはずが多頭飼育崩壊…京都のボランティア女性、なぜ際限なく犬猫を引き取ったのか|まいどなニュース
保護した犬や猫を劣悪な環境で飼育して虐待したとして、今月10日、京都区検に動物愛護法違反の罪で略式起訴、同簡裁から罰金刑 ...
maidonanews.jp
栗城史多氏と神様の多頭飼育崩壊 共通点
栗城氏はある時キラ星のごとく私たちの前に現れ、最初から多くのメディアに取り上げられもてはやされていました。
と同時にかなり早い段階、いや最初から、多くの有識者たちに「無謀すぎる」とも言われてました。
その無謀すぎるチャレンジを繰り返す中で彼は、多くの有識者たちの声を全て「自分を妬む声」と捉え、ある時から登山家である自身を「アンチに負けないチャレンジャー(冒険家)」、「登山」を「否定の壁への挑戦」というような表現で言い表すようになっていきました。
栗城氏には常に支援者(金銭的なスポンサーはもちろん、彼を応援する多くのファン)がいました。
過酷な状況であっても諦めずに、無謀だと笑われても笑顔で跳ね返して突き進もうとする彼の姿に私も励まされた一人です。
彼はずっと、そんな多くの期待に応えなければならない場所にいた…んだと思います。
神様と呼ばれた彼女は、「神様」というあだ名は彼女のお名前をもじった事がその由来ではあるそうですが、それでも「神様」と呼ばれるにふさわしいまでの活動実績をコツコツと積み重ねてきていたのは事実です。
だから、周りからの信頼も厚く、彼女も栗城氏と同じく、多くの「神様なら大丈夫」の声に応えなければならない場所にいた…んだと思います。
あくまでも、私の個人的で勝手な想像でしかないですけど。
もちろん、適切な保護を受けられなかった多くの動物たちのことを考えたら、そんな事を言ってる場合じゃないだろ!という意見は分かります。
ですが私にはどうしてもこのお二人を「賞賛を浴び過ぎて調子に乗った結果の自業自得」と簡単に割り切る事が出来ないんです。
栗城氏自身の人間性、神様自身の人間性、が根底にあるであろう事は分かっています。
それでも、❝それだけ❞で片付けてしまってはいけない事だと思うのですよ…
人は誰しも賞賛されると気分が良いです。
※保護活動は賞賛されるようなことではないです。
ですが「神様」と呼ばれ、「時代の寵児」ともてはやされ、あれだけ持ちあげられている時に「こういう時こそ謙虚に」を実践できる人が一体どれくらい居るでしょうか…
賞賛は麻薬だと言います。
その麻薬を「もっともっと」と知らずに欲してしまうのか、それとも純粋に期待に応えようとしていただけなのか…
いづれにせよ、過剰なまでの無責任な応援がなければ、そこまでに至る事はなかったのではないかと思うんです。
お神輿は担ぎ手がいなければ、ただの神輿。
無茶苦茶な担ぎ方をして潰れかけたお神輿を、そのまま無責任に担ぎ続けて、壊れてしまってからあぁだこうだと言ったって遅いのですよ。
私はそんな…無責任な応援に壊されていく人をもう見たくないんです。
あなたの「応援しています」は、その人を追い込んではいませんか?
栗城氏の死に対して、神様の崩壊に対して、もう誰も責任なんて負えないけど、負えないから、同じ悲劇がもう二度とどこにも繰り返されないようにと願っています…
おしまいに
今日のアイキャッチ画像は、ともすれば心が苦しくなってしまうかもしれない今日のお話しを、1人でも多くの皆さんに少しでも前向きで健全な気持ちで受け止めて頂き、建設的な思考を持って、改めて周囲をよく見渡し、深く考えて頂くきっかけになれたら良いなという願いから、「健やかで朗らかな写真を貸してください」ってTwitter(現X)で募集させて頂いた一枚です。
ライムちゃん、ゆいなさん、ご協力ありがとうございました。
また、冒頭でご紹介させて頂いた本はこちらです。
|
栗城史多さん
あなたのご命日に際し、あらためて思うことが今年もたくさんありました。ご生前の面影を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。