番犬とは

本文とは関係ありません

大切な『番犬』ペット(愛玩動物)じゃない「犬」と暮らしてきたという友人の話

2025年9月18日

先日、庭先で飼っていた犬が熊に襲われて亡くなったという痛ましいニュースがありました。

14日午後9時20分ごろ、喜多方市山都町に住む男性が飼い犬の鳴き声を聞いて家の窓を開けると、体長1・5mほどのクマがいました。

被害に遭った男性は、「必死に。攻防戦みたいに。やめろ、何やってんだと怒鳴りつけたんですけど、力も強くて勝てないなと思って」と、クマとの攻防を振り返ります。

なんとか窓を閉めた男性にけがはなく、クマはその場からいなくなりましたが、カーテンが引き裂かれ、網戸が壊されました。

男性は「爪でガーッと、カーテンがなかったら多分やられていた」といい、最後は思い切り窓を閉め、鍵を閉めたということです。

クマの危険を男性に知らせてくれたのは、3年前に保護施設から預かり、家族で大切に育てていた犬の「スマイル」。

クマがいなくなった後に愛犬の様子を確認すると、腹のあたりに襲われたとみられる傷があり、しばらくして死んでしまいました。

男性はクマに襲われる前の時間もスマイルと一緒に散歩をするなどして過ごしていました。

その日の様子を「いつも通り元気な姿でえさもばぐばぐ食べてましたし、走り回っていた。

ショックでしかないです。まだ若かったんですけどね。ちっちゃかった」と、無念そうに振り返りました。

Yahoo!ニュース『犬の鳴き声で窓を開けたら…愛犬がクマ被害に 飼い主「ショックでしかない」(福島)』

動画を貼っていたのですが「アップロードしたユーザーにより削除されました」とのことです。

全部ではありませんが、そこに書かれたたくさんのコメントを見て私は古い友人の話しを思い出していました。

この話しは絶対に「だから何だっていうんだ?」という形でしか終われない事は書き出しの今からもう分かってるけど、それでも、ずっと『大切に持っておかなくちゃいけない感覚だ』とあの時からずっと今日までただ心の中に持っていたモノを書いてみようと思います。

犬はペット(愛玩動物)じゃない、「番犬」という重要な使命をもっている大切な動物という認識

もう30年近く前になるかな…

それまでの

うちの犬は賢いからできる

自分は犬としっかり主従関係が築けてるからできる

みたいにちょっと飼い主のドヤ的に使われてもいた「犬のノーリード散歩」が、

犬のことを考えてない(万が一の交通事故など)

他者のことを考えてない(万が一の咬傷事故など)

「無責任な飼い方」だとして徐々に全国的にそのような風潮に代わり始めた頃だったと思います。

河川敷や公園、学校の校庭などに「犬を放さないでください」の看板が続々と立ち始めたあの頃、まだ『ドッグラン』などというものもなく、「じゃあ、どうしたら良いのよ」って、それまでの普通が普通じゃなくなった時に起きる「それまでをどうにか維持したい派」vs「ダメだと決まったものはダメなものはダメ派」のあの混沌としたまさにその最初の頃、どこの公園でならまだ犬を放して遊ばせてあげられるかみたいな、確かそんな話からだったんじゃなかったかな…

何のきっかけでその話になったのかその辺りはもう覚えてないけど、とにかく「うちの地元の方ではさ」から始まった彼女のそのお話は当時の私には衝撃的すぎて、肯定も否定もできずただ「そうなんだね」って言うしかできなかった事を覚えています。

東京の番犬は番犬じゃない(『仕事』をしていないから)

あの頃はまだ「室内犬」と「外犬」の区別というか、そこに線引きがある時代で、犬を外で飼うことを今のようにやめましょうねという認識がまだ無い時でした。

真夏の気温も今のように連日連夜ずっと熱中症の危険がある数値をたたき出し続けるような異常な気候ではなく…何年遡れば良いのかうろ覚えなのでキリの良い2000年の資料を置いておきます。

2000年の気温(東京)
気象庁:過去の気象データ

あの頃、「番犬」とは、もちろん知らない人が来たら吠える役割はあったけれど「番をさせるための犬」なんて認識ではなく、単に外で飼われている子達を総称して『ただそう呼んでる』みたいな感じだったんじゃなかったかな。

っていうより、私自身がその時まで、その言葉の意味を深く考えたことがなかったから、玉子をとるためのニワトリがいたり、(何の目的でだったかは忘れてしまいましたが)ヤギがいたり、いわゆる家畜としての動物たちが各家庭の庭にそれぞれ普通にいるような地域で育った彼女の「ここいら(東京)の番犬は何の番をしているのか、何から何を守っているのだろうかとずっと疑問に思ってる」という言葉がまず衝撃でした。

彼女の育った土地では、野生動物が大切な家畜を襲いにきた時に吠えて知らせるというとても大切な役割を持ってそこにいるのが『犬たち(番犬)』で、しかも番犬とはいえ、番をするだけにとどまらず犬たちには他にも大切な仕事がたくさんあったと彼女は言っていました。

大人たちが総出で畑作業をする季節には犬たちは赤ちゃん~子供たちの面倒を見たり遊び相手になったり。

山菜とりでは山菜のありかや入っちゃいけない危険な場所を教えてくれるのも犬たちの仕事だったと。

それらのエピソードの真偽のほどは分かりませんが、ここまででお分かりの通り、犬たちはノーリード散歩どころかほぼ放し飼いみたいな環境だったという事だけは確かです。

その集落一体には親戚縁者しかおらず(彼女の言葉を借りれば)排他的なとても閉鎖的な村だったと。

「どこまでが誰の敷地みたいな境目は田んぼや木が目印で(これは、彼女が子供だった頃にそう感じてたというだけで本当は厳密なものがあったのかも分かりません)だから、犬たちはみんな自由にあっちこっち行ってた。夜だけはそれぞれの家の庭に長いチェーンやロープで繋がれてた。(それでも全部が全部ではない)」

特例はあるにせよ「犬も室内で飼いましょう」がもう当たり前のように言われるようになってきてだいぶ経ちますし、「番犬」なんて呼び方すら知らない世代ももういると聞く現代では信じられないかもしれませんが、そういう時代がありました。そういう地域がありました。

これはただのそういうお話です。

『犬』はそういうものだとして生きてきた

(現代の感覚でいう「大切にしてる」とは全然違うからちゃんとお伝えできるか不安ですが)

犬たちは大切にされてた。それがあの村の「大切にする」だった。

村の皆がそれぞれにそれぞれ一頭ずつ全頭を大切に思ってた。どこの犬が子犬を何頭生んだって皆が自分家の子の出産みたいに喜んだ。

ただ、体が弱い犬は生きれなかった。動物病院なんてなかったし。(これは動物病院に連れて行くという発想がなかっただったかもしれません)

出産をずっと見守ってやっと生まれてきた子犬がそのまま死んでしまったり生まれてすぐさよならになる事は子供ながらに悲しいとか寂しいとかそういう感情は当然あったけど、弱く生まれてきたことや早く死ぬことが可哀想だと思うことはなかった。

「命とはそういうもの」だと、大人たちから動物たちからそう教わってきた。

確かそんなような事を言っていたと思います。

「山へ入るときは何頭もの犬を連れていく」

子供が一人で山の深くまで入ることは「必要がないからしたことがない」と言っていましたが、大人でも子供でもついそこまででも深くまででも、とにかく山へ入るときには、村の犬たちからその時に仕事をしていない犬たちを「必ず、わらわらと引き連れて行く」のだそうです。

犬をたくさん連れていると「熊が寄ってこない」からだそうで、また、仕事にあぶれていた犬たちにとっても「熊除けの仕事をする=ご褒美がもらえる」になるので両者ウィンウィンというか、「犬にはみんな大切な仕事がある」という彼女の村での犬たちの在り方そのままみたいなお話だなとそこまではそう思っていました。

でも…

彼女自身は出くわしたことはないそうですが、万が一、山で熊に出くわしたときには

「犬を置いて逃げる。置いて逃げるというより、犬たちが吠えて熊を追い立てたりとにかく熊がそっちに気をとられてるすきに人間は静かに素早く逃げる。そのために犬をたくさん連れて行く。」

(え…?)

私の頭の中では『銀牙(流れ星 銀)』という子供のころ夢中になって読んだ記憶のある懐かしい漫画が思い浮かびましたが、

これはあくまでも漫画の世界のお話で…

普段はタヌキやイタチを吠えて追い払うのが仕事の犬たちが熊を相手に何がどこまでできるのだろうか…

「私は上京するまで生まれてから一度も幸いにして熊の被害にはあわなかったけど、おじいちゃんの世代、お父さんの時代にもちょっとあったって言ってたかな。」

その『被害』が何を指すのか、彼女はそれ以上を話さなかったし、あの時の私もそれ以上を聞くことはなかったけど、それは多分、今、同じ話になってもきっと私は「それ以上先の話」は聞かないだろうなって思います。

まとめ…られるわけがない

クマ出没注意
旅先で撮っただけで本文とは関係ありません

彼女とはもう会えないので、彼女の地元が今どうなっているのかを知ることは出来ませんが、会えなくなる少し前、「久しぶりに帰ったら私の知ってる村ではもうなかった」と言っていました。

確か、跡継ぎ(後継者)のいない果樹園や田んぼの整理についてなんかの話しをしたような覚えがあります。

今日のお話を読んで下さってる皆さんの中には今、色々な思いや考えがあふれていると思います。

犬たちはどうなったのか、そこにはまだ犬がいるのか、犬に対する考え方や飼養環境のアップデートは行われているのか、気になることはたくさんあるとは思いますが、それについてのお話を私は知ることができません。

ただ、推測ですが彼女の最後の話からするともう集落として『番犬を必要とする暮らし』をされてはいないのではないかなとは思います。

ここで冒頭のヤフーニュースのお話に戻りますが、ニュースの内容よりコメント欄の方に私は心が揺さぶられました。

(どういう人がどういう顔して何を知って何を根拠にこういう事を言ってるのだろうか…)

少なくとも私は、彼女からこの話を聞いたあの時、熊に気を付ける生活を送ったこともない私には何も言う資格がないと思って何も言えなかったし、動物が好きで犬が好きで、「動物たちへの情熱は誰にも負けない!」くらいに思っていたはずなのに、熊などの野生動物のすぐ隣で家畜(動物)を守り犬たち(動物)と生きる彼女の村のお話し『動物たちの話』に対して、どこを向いたら良いのか、何を言えば良いのか、何を思えば良いのかすら分からず、ただただ自分の浅さを思い知らされてドロドロに凹んだだけだったから…

そんな極論じゃない。問題はそんな単純じゃない。

どうする事が正解なのか考えても考えても答えにたどり着けない事はある。ただ受け入れることしかできない事がある。

でも、抱えきれなくても起きていることを知ることを止めてはいけない。その時、自分がどう思ったかを忘れちゃいけない。

何の答えにもたどり着けず今日までずっとただずっと大切に持ってなきゃいけないと思った忘れちゃいけない感覚が、今回の冒頭にあげたニュースを見た時、一気に噴き出してきて…って、ね?結局まとめようもない、ただのお話になっちゃったけど、こちらの動画でそろそろお終いにしようと思います。

「そんな極論じゃない。そんなに問題は単純じゃない。」

熊問題だけに限らず、『命』と向き合う問題は全てそうであると私も思っています。

今日のモデルさん

番犬とは?

友人が保護後に、適切な手順を踏んで自身のお家の子としてお迎えした「サキちゃん」

❝あの頃のお話❞に相応しいいわゆる「犬種名のないワンコス」としてモデルさん登場してもらいました。

もちろん、ちゃんと室内で飼育されています。

雷が怖いらしく、雷が鳴ると血がでるまで床を掘るなどのパニックを起こしてしまうそうです。

病院で興奮を抑える系のお薬を処方してもらっているそうですが、あまり効果がないらしく先日も床が血だらけになってしまっていたと飼い主さんが言っていました。

同じようなお悩みをクリアされたワンちゃんの飼い主さん、おられましたら、「こんな風にしたら良いみたい」的なお話しをぜひコメント欄で共有して頂けませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

最後になりますが…

難しいことだけど、全ての動物たちのことをなんて大きなことはできないけど、小さくてもできることをしていきたい、自分にできることは何なのかを自分の頭で考えられる人でありたいとずっとずっと思っています。

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