フェレット わさび君

闘病生活は穏やかに完結【フェレットのわさび】優しいから強くなれるって教えてくれた

2018年7月2日

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2018年6月25日 (月) 朝 わさびが旅立ちました

今はまだ、こうしてパソコンに向かってわさびを思う度に画面がボヤけてしまいます。

でもそれは、悲しいとか悔しいとかそういう感情では少しも無くて、

もちろん、寂しい気持ちは当然あるけど、それよりも、

「やっぱり、わさびはすごい…大きな子だったなぁ…」だけです。

この子達はいつだって抱えきれないほど大きなものをくれています。

そんな事は分かっているつもりでも、毎日それに感謝しているつもりでも、

いつでも触れることができたその体が、もうここには無いんだって、それを現実として受け入れた時、初めて、それがどんなに大きかったのかって実感します…

その中でも今日は、「ターミナルケア」と呼ばれる、いわゆる終末期看護のその時期にまでも、わさびが私たちに見せ続けてくれた奇跡…生きている間中ずっと大きな大きな愛情で私たちの生き方を見守って、寄り添っていてくれたわさびの生き様を聞いて頂こうと思います。

なので、今日のお話しは誰かの参考になれるような獣医学や科学的な内容ではありません。

アニマルコミュニケーションや氣に寄ったお話しになります。

闘病中の姿や亡き骸そのままの写真を掲載します。

私たちにとって、それは、自慢でさえある誇り高きわさびの姿です。

苦手に思われる方や不快に思われる方は閲覧をお控え頂きますようお願い申し上げます。

ターミナル

終末期 - 医療において、不治の病と診断され、数週間から数カ月以内に死亡すると予期される状態。
ターミナルケア - 終末期医療。上記患者に対する、身体的苦痛や精神的苦痛を軽減する目的の医療・看護。

出典:Wikipedia

緩和ケアとの違い

ターミナルケアは緩和ケアの一部だとも考えると良いでしょう。
緩和ケアは、がん患者らの苦痛を緩和して、QOLの改善を図るものです。
ターミナルケアが、治療よりも残された生活を心穏やかに過ごしてもらうように努める「終末期医療」「終末期看護」であるのに対し、緩和ケアはターミナルケアの要素に加えて治療も並行して進める点に違いがあります。

出典:イリーゼ(有料老人ホーム)

ターミナルケア(終末期看護)=私たちが心の準備をする時間をくれた

わさびが「お父ちゃん」と呼ぶ、いた家スタッフの「おっちゃん」は精神的に強い方ではありません。

病院で「あなたは心がひいた風邪を少しこじらせてしまっている状態です」というような感じで、きちんと正式な診断がおりるほど、弱っている時期がありました。

おっちゃんのその病気や病状について詳しい事は知りませんが、わさびが来てから、おっちゃんは素人目でも分かるほど、確実に回復傾向にありました。

回復傾向にあったとは言ったって、あくまでもそれは「兆しが見えた」程度でしか無かったと思います。

寡黙な人と言えばずいぶん聞こえは良いですが、おっちゃんは必要最低限にギリ足りる程度にしか言葉を発しません。

そうやってたまに発する言葉でさえも、こちらが意識して聞こうとしなければ聞き取れないほど小さな、もはや音です。

声をあげて笑うことは無く、お酒も飲んでいないのに突然、嘔吐したりとかしていました。

それが、わさびが来てから落ち着きました。

わさびといる時は幸せそうにニコニコしていました。

わさびとはたくさん話しをしていたんだと思います。

出会い編
フェレットのワサビ君
フェレットの愛護施設で救われたのは人の方。いたちのおうちのわさび君とオッちゃんの話し。

今日のお話しは、「人に対して使うにふさわしく無い表現」が多々あるかと思います。 でも、それらは「多くのそういう似たような人」に対しての発言では無く、たった一人の人物にだけあてた言葉であり、その表現です ...

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一度だけじゃない!こちらの準備が整うまで一年かけて何度も何度も頑張ってくれた

わさびについて私たちは、「覚悟して下さい」と、これまでに何度か病院で言われています。

一番初めは、ちょうど一年前でした。

わさびの顔が腫れている事に気が付いて、慌てて連れて行った病院で

「詳しい検査をしてみなければ分かりませんが、これが口腔内腫瘍である場合…覚悟だけはしておいて下さい」と言われました。

あの時は、コンベニアの投薬という診断的治療(※推測される1つの病気に対してだけの投薬によって、その症状の改善が認められたら、病名が確定する(そう診断する))を受けましたが、確定するまでの1週間は

「そうじゃありませんように・・」

「そうじゃありませんように・・・」

「そうじゃありませんように・・・・」

それだけしか無かったです。

「覚悟だけ」だなんて、むしろ、それだけは出来無い!って頑なでした。

その時の話
口が腫れたフェレット
フェレット 口腔内の腫瘍(がん)とは?歯根膿瘍とは?【わさびの療養記録】

ここのところ、ずっと ニョロリン達のお口のトラブルについて、ちょっとムキになっています。 最近の更新が全部そうなので お気付きの方もチラホラおられるようですが… 現在、うちのワサビ君は病気療養中であり ...

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その時の1週間で、おっちゃんは洋服のサイズが1つ小さくなりました。

我が子のために心の準備1つまともに出来ず、体調まで崩すという愚かな飼い主たちにわさびは「ボクはまだ大丈夫」を見せてくれました。

「大丈夫」とは言ったところで、それは、「一番考えたくない状況ではなかった」というだけです。

そこからは、きちんと現実を見据えた上での話し合いが必要となりました。

それまではただ漠然と「何かあったら病院へ」程度の…健康診断を受けているから大丈夫だという絶対的な安心感ありきで話し合ってきたそれが、より具体的に、現実としての「こうなったらこうしてあげよう」へ向けての話し合いになっていきました。

もちろん、それで「明確な答え」なんて出るはずは無いのですが、それでも、そうした話し合いを繰り返す事で、それまでのフワフワとした「ずっと一緒にいようね」は、「一日でも長くこの生活が続くように、してあげられる事は何か」に変わったのは事実です。

少しずつ、でも確実に「ボクは先にいくんだよ」って分からせてくれてきた

…ですが、人間というのは愚かなもので、穏やかな日々が続くとそれを忘れてしまうのです。

いつの間にかまた、「ずっと」このままいられるような錯覚を起こし始めたタイミングで、

それは、想像していたよりも、前よりも、酷い状態で「ずっとなんて無いんだよ。」って気を引き締めさせてくれるかのように、わさびの症状は再燃しました。

再発:わさびの口の中のこと(下顎骨骨折)

前にも経験した病気という事で私たちには少し、前回よりは気持ちに余裕がありました。

「前よりもひどい状態」だった事で、前回と同じ治療だけで良いのか?を前向きに話し合い、具体的に動く事が出来ました。

それまでのように、ただオロオロするばかりではなく、その時から、やっと初めて冷静に

「大丈夫だよ!私たちが一緒に闘ってあげるから、頑張ろうね!!」

って、わさびに心から言ってあげられたような気がします。

治らない病気を「してあげられる事」がたくさんあるうちに教えてくれた

ですが、わさびは、

「一緒に闘ってあげる」ってやっと覚悟ができた私たちに、「そうじゃないよ。ボクはもう7歳(当時)だからね。」って、覚悟の仕方が違う事を教えてくれるかのように、自分が治らない病気に罹患している事を、その時に気づかせてくれました。

「いつかそうなるかもしれない」という、あくまでも可能性の1つでしかなかった病気…

自分の体はもう、フェレットの三大疾病の1つといわれる「インスリノーマ」その治療(投薬)を考え始めた方が良い時期にあるよって事を教えてくれました。

そしてもう1つ、

症状が出てからいざ分かった時には手遅れである事が多いと言われている腎臓病。

腎疾患に関しては「あの時こうしてあげていれば…」と、それまでの自分の選択が間違っていたんじゃないかと後悔で頭がいっぱいにも一瞬なりましたが、

でも、「こんなに早く分かってあげられたのは奇跡のような物です」と言う先生の言葉を聞いて、

きっと、わさびが、私にそんな後悔をさせないように…

「早く分かってあげられて良かった」って前向きでだけいられるように、してあげられる事がまだたくさんある段階のそのタイミングで教えてくれたんだと思います。

どちらも、闘って治してあげられる病気ではないけれど、生きる為にうまく付き合っていく事を考えてあげられる、それが早ければ早いほどより多くしてあげられる事がある病気です。

わさびに「ごめんね」はまだ早い!「頑張ろう!」だけ

毎日の投薬でその時に向かう気持ちを前向きに維持させてくれた

それらが治る病気であったらきっと、私たちは「フェレットの寿命」を考える余裕無く、治すんだ!治してあげるんだ!とムキになって、「その時」を意識する事が出来ない状態に陥っていたと思います。

ある日突然のそれを受け入れるなんて出来ないであろう私たちに、わさびはゆっくりと、でも確実にくるその時から目をそらしてはいけないんだって、心の準備期間をくれました。

治る病気ではない以上、うまく付き合っていくための投薬がその都度、毎日、必要です。

それによって得られる効果は、良くて現状維持。

検査で言われる「今月も異常無し」は「悪くなってはいない」というだけのこと。

何かがあるたびに駆け込む病院で「これは病気のそれではありません。加齢によるものだとお考え下さい」と言われ、その回数を重ねるごとに、

そういう自覚は無かったけれど、そうやって、検査結果の「異常無し」が「悪いところはない」を指す言葉から「悪くなってはいない」に変わっていって、少しの変化は「加齢によるもの」とされるようになっていって、

私たちはきっと自然と「その時」を本当に現実としてきちんと認識できるようになっていったんだと思います。

以前、プロの方にお願いしたアニマルコミュニケーションで、わさびは

わさび
わさび
ボクがいなくなったらお父ちゃんはどうなっちゃうんだろう…って、それだけが心配なんだ。
ボクはもう7歳(当時)だから(まだ若いエルと同じほどに)長くは一緒にいてあげられないから。

と言っていたそうです。

自分が突然いなくなったらお父ちゃんはどうかなっちゃうかもしれないって、ずっと心配してくれていた優しいわさび…

だから、精神的に弱いおっちゃんがそんな事にならないように、何度も何度もその機会を作って、ちゃんとその時間を作ってくれていたんです。

いつからか、目の前のわさびに「今」してあげられる事だけだったその先に「その時を迎えるわさび」の事も考えての「今」してあげられる事は何なのか?を考えられるようになっていきました。

わさびはずっと、私たちが、無意識にでも、少しずつでも「その時」を迎える心構えをさせてくれていたのです。

「今この場で…」「今日、明日にも…」の覚悟が出来ていなかったのを見抜いてたんだね

そうは言っても、まだまだ私たちの覚悟は緩かったんだと思います。

「いつかくるその時」を意識しているとは言ったって、それはあくまでも「いつか」でしかありませんでした。

「覚悟して下さい」と言われる度に、すぐそこに置いたはずの「その時」を、その闘病が日常生活へと溶け込んでしまえば、やっぱり「その時」は少し遠くの未来へ先延ばしになったような錯覚を起こして、覚悟なんてボンヤリと薄れてしまうのです。

年上の子の話しを聞けば、「わさびはまだ若い!頑張ろう!」と言い、

同じ年で闘病を頑張っている子の話しを聞けば、「わさびもまだまだ頑張れるね!」って、言ってきました。

そうやって、闘病中とはいえ穏やかな生活が半年以上続き、「その時はまだ先」と思っていたから、私たちはあの時、気軽に検診を受けに行ったのです。

そこでやっと、その覚悟とはこういうものだ、今すぐ覚悟しなきゃいけないって、その時にやっと初めて心臓に叩きつけられたような気がします。

その日
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色んな皆さんからお写真をお借りしたりして、書きかけの記事が何個かあるのですけれど、 今日はわさびのお話しを… わさび君は腎不全・インスリノーマで闘病中の8歳(シニア)です。 わさびの腎不全お話し⇒フェ ...

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「今こうしているのが不思議なくらいなんです」

「どうしてこうしていられているのか分からない」

と先生が真顔で繰り返すほどの数値に跳ね上がっていたわさびの体の中の状態…

そんな、わさびの体が少しでも苦しくないようにしてあげられる薬を出して欲しいと言った私に先生は

「何日分お出ししますか?…2日、3日分…?一週間分くらいはお出ししておきましょうか?」と聞きました。

それは、獣医学的に見積もったわさびに残された時間がもうそれしか無いという事を意味します。

わさびを診てくださるその先生はご自身でもフェレットを飼っていた事があり、とても信用できる優しい先生です、飼い主感情を考えて、「+α」して、その日数を言ってくれたんだと分かります。

「飼い主に無用な期待を抱かせるような事を言ってはいけない」って、これは、私も何だったかの資格を取る時に習った事です。

(医学的に)希望がない、可能性がない、事を飼い主に受け入れさせるのも獣医さんの仕事だと。

それは、その後に何かしらの訴訟問題に発展するのを避けるためばかりでは無く、それが飼い主のため(ペットロス症候群を引き起こしたり、それを重症化させないため)なのだと教わりました…

だから、

「20日…いや、一ヶ月分ください」って私の言葉に先生は一瞬ギョッと固まって、困ったような顔をされていました。

困らせているのは百も承知でも、私はそこから引けなかったんです…

だから…ってわけじゃないけど、

「覚悟は出来てます。ちゃんと分かっています。」として、「その時」の事を見越したお薬も出してもらいました。

「じゃあ、二十日分だけお出しします。すごく失礼な言い方になりますが、もしも足りなかったらまた取りに来られるという事でご了承頂けますか?」は、最後まで「飼い主に無用な期待を抱かせない」を徹底してくれた先生の配慮です。

私たちが現実から目を背けないよう、わさびが、先生が、そうしてくれました。

わさび…聞いてたんだね。応えようと最期まで頑張ってくれたんだね

帰りの車を運転中のおっちゃんの顎から雫が零れ落ちるのを何度か見ました。

「泣く」という表現とは少し違うような…にじみ出た涙が滴り落ちただけという感じでしょうか…

大の大人がそんな風に、こらえきれないようなそんな状況に追い込んだのは、間違いなく私です。

穏やかに静かに暮らしてた二人(一人と一匹)を、考えなしに検査なんかに連れ出して、きつい現実を突きつけたのは、私なんです。

掛ける言葉が見つからないだなんて他人事じゃなく、原因を作った張本人として、なんと言えば正解になるのか、口から出して良い適切な言葉が分からず、何も言うことが出来ないまま、ただ、ぼんやりとわさびの事を考えたりしているだけだったから、

だから、突然、「発作って、キミ(私)が見ていられないほど苦しそうな発作っていうのはどんな感じになるの?」って、おっちゃんが言葉を発した時、何を言われているのか理解するのに少し時間がかかりました。

ずーっと涙を出し続けてぼってり腫れた目だったけど、何かを決意したみたいな顔をしていました。

それはあの時、わさびがそう言っていたと教えてくれたアニマルコミュニケーターさんに

「もしかして…俺が心配で逝けなくて、わさびは本当はシンドイのに俺のせいで頑張ってくれて、そのせいで…俺が心配だからってわさびが無理して、自分がわさびが苦しめてしまう事になりませんか?」って、そればかりを心配して、その場で相談していた、おっちゃんが

前田理子さん
前田理子さん
そんな事にはなるはずが無いじゃないですか、だって…

って、詳しく話さずとも、2人(わさびとおっちゃん)の事を全部把握しているプロのコミュニケーターさんが心からそう言ってくれたその言葉を受けて、

「その時がきたら、お父ちゃんがちゃんと看取ってやるからな。わさびが心配する事は何もないんだぞ。心配かけてごめんな。でも、それくらいはお父ちゃんにだってしてやれるから安心して良い。ありがとう…ありがとう…」

って、涙をボタボタ垂らしながら、わさびに話しかけていた、あの時のおっちゃんが見せたその表情と同じでした。

察して頑張ってくれた

診断された「今この場でそうなってもおかしくない」を乗り越え、予想された2、3日を過ぎ、一週間、十日を越えた二週間目あたりから、わさびに必要なケアが増え始めました。

昨日までできていた事が出来なくなり、日に日に口にするカリカリご飯の量が減っていき…

私たちが発する「わさび、頑張れ」は

「わさびの体が少しでも苦しくないように、少しでも穏やかにその時を迎えられるように」

そのためにだけ「わさび!頑張って!」です。

そんな私たちに応えるように「ボクは苦しくないよ」って、言ってくれているかのように…わさびは体を張って見せてくれました。

奇跡…
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優しさは強さ、誇り高き我らが看板息子

6月23日

私たちは「奇跡的な回復」をわさびの体に望んではいませんでした。

本当にただ1つ

「わさびが苦しい思いをしないように」だけです。

わさびがわさびらしく穏やかな時間を過ごせるようお手伝いをする!それが、私たちの介護(看護)目標でした。

だから決めていた事

その時を待ってるみたいな行為だけはしない

これは、一年前のあの時から、漠然とだけど、その時には「そうであれる飼い主でいよう」と話し合っていた事です。

あの時は「このまま死んでしまうかもしれない」という緊張感が解けたすぐ後だったから、冗談みたいに、

「わさびは私たちにものすごく気を使う子だから、空気を読んで、そろそろ逝かなきゃみたいになるのだけは避けようね」

「わさびが決めるその時を、自然にその時を自然の流れの中で迎えられるように」

「そのお手伝いをしようね」

って、笑いながら話していた事だけれど、わさびはそれさえもちゃんと聞いていて、そんな私たちの希望を全部叶えてくれました。

私たちがそうしてあげたのでは無くて、それは全部、わさびがそうさせてくれていたんだって、後になって…今になってようやく分かった事なんですけどね。

不器用で拙いお世話に付き合ってくれてきた

わさびがカリカリを口にしようとしなくなった時、本来であれば、即座にシリンジでの強制給餌に移るのが看護の正解だとは思いますが、

私たちは、わさびが好きだったフード…わさびがここへ来た時に前の飼い主さんが持たせてくれたフードに切り替えてみる事をまず選びました。

末期の腎不全を患っている8歳のフェレットに、嗜好性の高い、しかも若い子用のフードです。

わさびは、久しぶりにフードディッシュを空っぽにして見せてくれました。

「まだ口からご飯を食べられる」

「自分からご飯を全部食べた」

たった数回限りでしかなかったけれど、ターミナルケアに入ってから見せてくれたそれは、私たちにとって、とてもとても大きな出来事でした。

何もかもが手探りで不安の方が多い「これであってるのだろうか」の毎日の中で、初めて「間違ってなかった」と確信を持って、「こうしてあげて良かった」と、心から思えた出来事でした。

自力では立ち上がれなくなったわさびを、本来ならば、ゆっくりさせてあげるのが正解だったのかもしれませんが、私たちは一日に何度か「立つ」時間を設けました。

お腹の下にタオルを通して、部屋を一周させたり、わさびが決めていたトイレに(排泄するしないは関係無く)連れても行きました。

それがお腹への刺激になるからなのか、排泄コントロールの手伝いはもちろんの事、ベッドでの垂れ流しのような事も極端に回数が少ない方だったと思います。

だから、「病気のフェレットを介護していた」と言えるようなお世話は投薬以外にほとんど無かったです。

それらはどれも「お年寄りの身の回りの事のお手伝い」として、人間だって誰しもが年老いたら、家族やそういう施設でお手伝いしてもらうような程度の事でしかありませんでした。

わさび 8歳 大往生

「手術頑張るよってわさびに言いに行こうね」って、ちょうど一週間後に手術を控えたエルも連れて、その日はわさびに会いに行きました。

「もうビックリうんち(脱糞)しなくなったよって、わさびに報告しなきゃね」ってサスケも一緒にです。

サスケをお迎えしてしばらくの間、エルとサスケの関係について悩んでいた私が、一番、相談に乗ってもらった、わさびに「2人はもう大丈夫」って見せて、「わさびのお陰だよ、ありがとう。」ってちゃんと言いたかったのも、もちろんあります。

元気な頃はいつも、わさびにオンブみたいに乗っかってたエルちゃん…

いつもみたいに飛び乗ったりしないで、でも、いつもと同じように後ろからそーっとだったね。

ちゃんと報告できたかな?

サスケもちゃんと「ボク、成長したよ」って言えたね、きっと

それまで、しょっちゅうだったお泊り会、サスケも加わって久しぶりに「みんなで一緒」に週末を過ごしました。

日曜日の夜には、お引き受けするニョロがいたりして、わさびの介護ありきではあっても私は「私の日常生活」を崩す事はしませんでした。

※いた家としての業務や活動を制限しているのは、あくまでも「エルが手術を控えているから」です。

その2日の間で、それは、ゆっくりとだけど、止まることはもう無くて、確実にそこへ向かっているのは感じていましたが、私が自分の日常生活を後回しにして、そこでわさびに付きっきりになったら、それは、わさびが「死ぬのを待ってる」って事になってしまうから…

「その時まで一緒にいたい」なんて私がそこで思ってしまったら、わさびは変な気を使って「その時を用意」したり、きっとするから…

それが一年前に、いたちのおうちスタッフ全員で決めた「その時を待ってるみたいな行為だけはしない」の真意です。

いつもと同じように、洗い替え用のわさびのハンモックや諸々を自宅で洗濯するために私は帰りました。

「また明日くるからね!」って声をかけたら、こうして、首を上げ、しっかりと私を見て…

エルに、サスケに、お引き受けしたばかりのニョロに…「よろしくね」って言ってるみたいに見えました。

こうして「ボクは大丈夫」って顔を作って、私にしっかり見せて、最後まで私を安心させようと頑張ってくれたんだって思います。

最後の時間は「お父ちゃんとゆっくり」したかったんだね

その夜、おっちゃんから動画が送られてきていました。

「少し呼吸が苦しそう」

「呼吸が荒くなっていないか見て欲しい」

と何本も送られてきていたのに私は寝ていて気が付きませんでした。

もう月曜日の明け方に近い時間に、「落ち着いてきたみたいだ、心配かけて申し訳ない」と送られてきていた最後の動画

図らずも徹夜に近い状態で過ごしてしまったおっちゃんは、こうして落ち着いてきたわさびを見て、「安心してうたた寝をした」そうです。

目が覚めて、わさびが眠っているのか眠ってしまったのか、「確認しなければ分からなかった」そうです。

苦しんで歯を食いしばったりした様子もなく、本当に「いつも通りにただ眠っているようにしか見えなかった」と。

オロオロと一晩中、動画を撮り続けた、おっちゃんのその行為を「その時を待ってるみたいな行為」にさせないようにって、きっと、わさびがそうしてくれたんだと思います。

最後までおっちゃんを思って、そっと、そのタイミングで旅立ったわさび…

プロのアニマルコミュニケーターさんが、その時のことを

前田理子さん
前田理子さん
わさび君も寝たまま旅立った感じがします。
横で眠っている(おっちゃん)さんと呼吸を合わせるようにして、うたた寝というか、浅い眠りの中、上がっていったのではないでしょうか。
とてもとても幸せで満ち足りていると伝わってきます。
本当に、生ききった感じが伝わってきます。

と感じ取って下さいました。

※おっちゃんが「わさびの横で」「うたた寝」をしていた事は伝えていません。

わさびが永眠した旨だけを、それまでお世話になった事への感謝を込めて、ご報告させて頂いたら、そう教えて下さったのです。

本当に、すごい頑張ってくれていたんだね…

友人にもその報告をしたら、すぐに「今なら時間も車もあるから乗せてってあげる」って車を出してくれました。

わさびに会いに来てくれました。

 

ずっとだましだましの治療を続けてきた口元だけは、やっぱり少し黒っぽくはなりましたが、それにしても穏やかで安らかすぎると思いませんか?

こんなに綺麗に可愛くしてもらって…

フェレット

little patch

闘病中もずっと、常に「穏やか」に見えていた、わさび。

「苦しくないよ」「ボクは大丈夫」って見せてくれていたんだって、優しいわさびが、ずーっとそうやって頑張って、そう見せてくれていただけなんだって、魂が抜けただけにしては綺麗すぎる、その中に魂があった時よりずっとずっと穏やかに横たわるこの体を見て、私はそう思いました。

「大丈夫だよ、安心してね」って頑張って見せてくれていたんだって…

わさび、いくらなんでも良い子過ぎるんじゃないかい?本当にまったくどこまでも…

私たちが覚悟できるようになるまで、何度もその機会を作ってくれて、

それでも、口先ばっかの私達を見抜いて、気を使って、、

一度の発作も起こさないうちに、

「穏やかに」「穏やかに」と言い続ける私たちの願いを叶える形で、

最後の最後まで「わさびらしく」生きてくれました。

わさびがいたちのおうちの子になってくれた

2016年2月29日からずっと、ずっとずっと、これからもずっとわさびは私たちの自慢の看板息子です。

大きな病気を2つも抱えながら、「天寿を全うした」と思わせてくれる逝き方をしてくれました。

とてつもなく大きな大きな愛をくれた、本当の強さと優しさを身をもって教えてくれた、わさび。

2018年6月25日 永眠(享年 8歳)

ゆっくり休んでね…ありがとう。

いたちのおうちに来てくれて

私たちを最後の飼い主に選んでくれて

おっちゃんだけは飼い主じゃなくて「お父ちゃん」だね(笑)

全部、全部…

ありがとう

追記

お話しに出させて頂いておりますプロのアニマルコミュニケーターさんは、以前よりお世話になっている「キキのテーブル」の前田理子さんです。

アニマルコミュニケーションについての詳細やお問合せは、ご本人のホームページ「キキのテーブル」にて、直接ご確認頂ければと思いますが、以前の記事(⇒アニマルコミュニケーションでエル節炸裂!)などでも、少しお分かり頂けるかなと思います。

理子さんはじめ、この度お世話になった方々への御礼とご紹介は、また日を改めてゆっくりさせて頂きたいと思いますが…

多くの皆様、

わさびを思って頂き、わさびの為に温かいお言葉を送って頂き、わさびを愛して頂き、

本当に、本当にありがとうございます。

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