6年前のあの日、私は東京にいました。
あの震災で私が失ったのは知人を一人「だけ」です。
それも「あの津波からもうすぐ一年経つんだよ」って友人が「やっと旦那にお葬式をしてあげられたんだ」ってくれた報告のメールで初めて知った事です。
それまで私は、自分は何も失っていない側なのだと自分で勝手にそう思っていました。
だからという訳ではないけれど、私は震災ボランティアの中でも「被災ペット」関係の活動のお手伝いをさせてもらっていました。
「お手伝い」だなんて言ったって本当にほんの少しだけです。
そのほんの少しのお手伝いでも、その期間中いくどと無く耳に入ってきた
「こんな時に動物の世話だなんて」
「犬猫の方が大事なのか?」
「人としてどうかしてるんじゃないか」という言葉たち…
私はそれらの言葉を耳の奥から取り出して、自分で自分の胸に突き刺しているような感覚で、彼女からのその短いメールを何度も何度も読み返しました。
その事を知ったからと言って急に自分も失った側だなんて、その立場になる事は出来ないって、しちゃいけないってなぜかそんな風にだけ思いました。
当時、何かで「あれだけ大きな震災で何も失っていない人なんていない。この国に住んでいる人は皆、大きな何かを失くしてるんだ」みたいな記事を読みました。
私には帰る家がありました。
主人も仕事も生活も…失うどころか何も変わらずちゃんと持ったままでした。
その記事のいう「大きな何か」それが何かは分かりませんが、それを見たら余計に、「数回会った程度の…友人のご主人」しか失っていない私は、やっぱり何も失ってなんかいないじゃないかって、そう思わなきゃいけないんじゃないかって、これは今でもそういう気持ちだったりしています。
「元」を知らないけど「元通り」じゃない事は分かる…
3年前はまだ屋根にブルーシート、瓦が落ちたままのお家が、気にしなくても目にはいる程ありました。
去年はその数が随分少なくなって、今年はもうそれらを目にする事はありませんでした。
これは私が行った(通った)場所がそうなだけなのかもしれませんが…
でも、よく見ると壁にはヒビが入ったままだったり、扉が上手く閉まらなかったり床が歪んでいたり…
そういう「室内」で皆もう「普通」に生活をしていました。
元通り…になんてもうならないものを抱えていくのは辛すぎる
朝日新聞デジタル(2017年3月11日15時32分)で、サンドウィッチマンの記事を読みました。
仙台市に住んでいた同級生は、子どもと、妊娠中だった奥さんが津波に流され、家族の中で自分だけ生き残った。そいつは胸まで海につかって長い棒を使って自分の子どもを捜し出し、口の中が泥だらけなのを洗ってあげて。奥さんは2週間後に2キロくらい離れたところで発見された。その後、同級生は仮設住宅で1人でがんばっていたんですけど、やっぱり耐えられなかったんでしょうね。奥さんを火葬した日の1年後に、「子どもに会いに行ってくる」という遺書を残して自殺しました。
伊達さんは自身が同じ立場だったら自分もそうするかもしれない。
と続けて仰っていました。
このお友達の話しは「別にニュースになっていることでもなんでもないけど、被災地ではそういう事がいっぱいあるんだろうと思う。」って言葉に、私は何を思えば良いのかさえ分からなくなります…
富澤さんが
被災地の人と、何げなくしゃべっていると、話の途中で、津波で子どもを亡くしたり、行方不明だったりする人だってわかる時があります。そんな時、いまだになんと声をかけたらいいのか、わからないんです。
と仰っていました。
本当に…です…
このお話しの詳細、お二人が設立された「東北魂義援金」の事についてなどはこちら
⇒被災の子、きっと強く優しくなれる サンドウィッチマン
去年と同じ笑顔で嬉しかった。「また」喜んでくれたそれがすごく嬉しかった。次もその次もこれからずっと…もう、ずっとそうが良い。
エルちゃんを待ってくれてる人がいました。
「待ってたんだあ。やっぱり可愛い。」って
「めんこい」
「めんこい」ってずっと抱っこしてニコニコしてくれるオバちゃん。
「おじちゃんの事、覚えてるか?」って去年は見ていただけだけど、今年は「どれ、ちょっとは大人しく抱かせてみろ」ってニョロニョロすり抜けるフェレットのエルちゃんをぎこちなくだけど、何とか抱っこしようと頑張るおじちゃん。
「何食べるんだ?」って去年と同じ事を聞くオバちゃん…
「外国のいたちは皆こんなに洒落てるのか?外国のどこだ?」って何回も聞くおじちゃん…
「東京ではいたちをペットショップで買うのか?」って去年からずっと「不思議だなあ」って思ってたんだって質問をしてきたおじちゃん…
※「フェレット」は「日本のいたち」ではありません。日本の野生にフェレットはいません。
鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律施行規則
(平成十四年十二月二十六日環境省令第二十八号)
最終改正:平成二七年一二月二四日環境省令第四一号
第二十五条及び第二十七条では法第二十五条第一項及び第二項また第六条第一項その他の環境省令で定める鳥獣、鳥獣の加工品などは次に揚げるものとする。として
その中でいたち科に属するものは
テン(マルテス・メランプス)
イタチ(ムステラ・イタツィ)
チョウセンイタチ(ムステラ・スィビリカ)
アナグマ(メレス・メレス)
となっています。
おじちゃんの言う「いたち」が上記に当てはまるかは知りませんが、少なくともその話をしていたおじちゃんは
環境省「野生鳥獣の保護及び管理」において
都道府県知事が実施する狩猟免許を取得したうえで狩猟をしようとする都道府県に狩猟者登録し、狩猟ができる区域・期間・猟法など、法令で定められた制限を遵守する必要があります。
の登録をされている方です。
「こんなにめんごいなら、うちもいたち飼うべ。猫とは仲良くできるか?」って冗談を言っていました。
※狩猟と「飼育」はまた別の法律です。
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めんごいエルちゃんはフェレットです
みんな、エルちゃんを
「可愛い」
「可愛い」って待ってくれていました。
今年で2歳になるエルちゃんは、あの日を知りません。
今でもその土地の出身だというだけで、心ない誹謗中傷を受けている人達、泣かなきゃいけない思いをさせられている子供たちがいる事…そんな事は何にも分かっていないと思います。
そこには去年と同じワンちゃんがいて、おじちゃん達がいて、オバちゃん達がいて、アンちゃん達がいただけ。
去年と同じ、おっかなびっくり人差し指と中指の2本で小さい頭をナデナデナデナデしてくれた皆が、笑って「可愛い」って言ってくれているだけ。
皆が自分に注目して見ていても関係なく、いつも通りに、どこへ行った時とも同じに、部屋の隅から隅までスンスンスンスン♪
皆のカバンの中をスンスン♪スンスン♪見てまわって、転げ回って大はしゃぎして、満足したら丸まって眠る。だけ
「いたちが害獣…?そんなの聞いた事ねーよ?」
「いたちは田畑を荒らす害獣だから、フェレットを飼っている事を地元で言うと訝しがられる」と以前、ニョロリストから聞いた事があります。
元来、肉食であるイタチが田畑を荒らす事は考えにくい事なのではありますが、特に田畑の中にあるわけではないという彼女の地元ではそう言われているそうで、「何のために仕掛けられているのかは分からないけど、いたちやタヌキがその罠にかかっていたからって誰も何にも思わない。そのまま捨ててしまう土地柄」なのだそうです。
※「畜産」を荒らす害獣としては色々と聞いています。
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「両親もおばあちゃんもフェレットの写真を見ただけで気持ち悪いと言った。」そんな地元で「もし、この子を脱走させてしまったら生きては帰ってこないんじゃないか」と心配する彼女は、毎年の帰省にニョロリンを絶対に連れて帰りません。
緑豊できっとその土地と似ているんじゃないかと私が勝手に思うその場所で、「そうやって聞いていたから、ここの皆も本当はエルちゃんの事を可愛くないって思うんじゃないかって少し怖かった」と本音を話ました。
「え?」って驚かれました。
「ここらのいたちは何も悪さしねよ」って、あっけらかんとして教えてくれました。
「畑や田んぼより、あっちの川でよく見る」って言っていました。
「子供の頃からいたちを捕まえようと思った事はねけど、すばしっごいから、とても捕まえられるもんじゃねしな」って笑っていました。
「養鶏場とかやってるら辺の事は分からねけど、少なくてもここらではそんな事言う人は聞いたことね」って。
やっぱりそうだ。
私は、その人から出る言葉の色というか温度というか…なんと表現したら良いのか分かりませんが、そういうのを感じる占い師です。
(※だから、人の「話し」をちゃんと聞いていないってよく怒られます。「さっき言ったでしょ」って言われながらも、それさえ聞いてなかったりします。すみません。ちなみに文字もそうです。「そこに書いてあります」の「文章」を「見て」いなかったりして嫌な顔をされたりします。本当に御免なさい。)
本当の事を知ってる人と知らない人とでは、その言葉がその人のどこから出てくるのか、出てきた場所からもう違うんだって思いました。
ここの人達は「いたち」をちゃんと知っていて、「そのいたち」について「自分の気持ち」や「考え」があるんだって分かりました。
知人の地元がどうとかという話しでは、ありません。
彼女の地元では本当に田畑を荒らすイタチがいるのかもしれないし、そういう土地があったからと言って、私はその話しに某かの問題を見出すつもりもありません。
ただ、「よく知らない」のに決めつけて「悪く」言うのは何においても「違う」って思うだけです。
「よく分からねけど、エルちゃんは害獣じゃね。こんなにめんごい。また連れて来てね」
オバちゃんがそう言いました。
エルちゃんはフェレット。
そこではいたちも害獣じゃない。
そこは不必要に避けなきゃいけない場所じゃない。
そこには皆がいて、ちゃんともう笑ってる。
私は今年も笑顔をいっぱい見てきました。
風評被害とは
【概要】
風評被害の「風評」とは、世間の噂や世評のこと。「被害」とは害を被ること。
そこから風評被害といえば根拠のない噂により害をうけることを指し、特に事件や不祥事・事故災害・不適切な虚偽の報道等それらを原因とするデマによって、事実に全く関係のない企業団体や個人などが、生産物やサービスの品質低下を懸念されて消費や取引を敬遠されるなどの大きな損害を受けることを指す。
【本質を避けるという問題】
風評被害という言葉が本来の意味を離れて一人歩きし、「現実に問題が発生している、あるいはその可能性がある」事象に対しても安易に用いられ、本質に対する考察や対処を回避し、誤魔化す為の一種の常套句と化している。
2011年3月の東日本大震災を発端とした原発事故に際しては、基準すら慌てて定めたような事態の中、風評だ、風評だとばかり叫ばれているが、その全てが「風評」被害ではない。
放射性物質に汚染されている可能性がある農産物や石等を避けるという消費者行動は「根も葉もない噂によって導かれた結果」ではない。特定地区に汚染が起こっていることは事実であり、範囲を明確に示して被害の補償に対処すべきである。農業や漁業に携わる人々が受けているのは「風評による被害」ではなく、「放射能による被害」なのだ。
ただし、福島県は非常に広大な面積を有する。会津あたりまで一律に問題視されるのであれば、当然隣県も対象になってしまう。こういった意味で「○○県産は大丈夫」「福島県産はダメ」といった対応や認識は適切でない。
「風評被害」NICO PEDIAより引用
それがどうだからとか関係無い。どうであろうと何にも出来ない私は、どういう風にも思わない考えない、調べない。これで良い。
「その場所に立って息を吸って水を飲む」それしか私には出来ません。
それもしないで
「その場所を語る」は私には出来ません。
それをしないでそれを語るという事は何かトラブルが起きた時に
ただ押し付けるだけの側と何も変わらないんじゃないかって思うのです。
その場所の皆が笑っていました。
エルちゃんに
「また来てね」って言っていました。
私は全部が嬉しかった。
それだけです。