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巷で話題のアレ

これからの正義の話しをしよう~動物たちに対するいた家の哲学~

2018年5月4日

マイケル・サンデル著

Justice ~ What's the Right Thing to do?

邦題:これからの「正義」の話しをしよう~今を生き延びるための哲学

この本は、何度も何度も読みました。

そして、この本の内容については正直、誰とも話し合いたくありません。

…いや、した事はあるのです。これまでに何度か

その結果、毎回、「終わらせ方が分からない」ってなって、モヤモヤしたのです。

一方的に「私はこう思いました」と言う話を全然、関係無い(立場が全く違う)人と話すなら「そうなんだ」で終わると思うんです。

それは要するに、黙って聞く(受け入れるとかではなく)か、黙って聞いてもらう(受け入れてもらうとかではなく)かしか無い「話し合い」なのではないかと、これはあの頃よりは少し大人になった…

いや、もう立派な大人なはずの今でもそう思っているのです。

(カントの道徳の概念によると、)自由に行動するというのは、ある目的を達成するための最善の手段を選ぶことではない。それは、目的そのものを目的そのもののために選択することだ。(177ページ)

(アリストテレスにとって、)政治の目的は、効用を最大化することでもなければ、個人の利益を追求するための公平なルールを定めることでもなく、もっと崇高なものだ。人間の本質の表現であり、人間の能力を発揮する機会であり、善き生に欠かせない要素なのである。(315ページ)

帰属には責任が伴う。もしも、自国の物語を現在まで引き継ぎ、それに伴う道徳的重荷を取り除く責任を認める気がないならば、国とその過去に本当に誇りを持つことはできない。(369ページ)

正義にかなう社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。正義にかなう社会を達成するためには、善き生の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはならない。(407ページ)

GNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれない。(ロバート・F・ケネディ)(410ページ)

お分かり頂けますでしょうか…?

例えばですね…

考えてみよう

1人を殺せば5人が助かる。

5人を助けるためにその1人を殺しますか?

それとも、何もせずに5人を見殺しにしますか?

たった、これだけの事なんですけど、その答えを、「誰かと議論」して出す事が私には出来ません。

その5人が誰なのか、その1人が誰なのかで答えが変わってしまうのが私です。

もっと言えば、議論する相手によってでさえ「私の答え」は変わってしまうと思います。

「物事には必ず答えがある」なんて、そんな簡単な話じゃねぇぞ…っと。

人間にはそれぞれの立場ってものがあって、それぞれの場所から「問題」について、それぞれの正義で語って「正しい答え」を出せるのだろうか…?

そもそも正しい答えって何だろう…?

そうやって、本当は、話し合ったって答えが出せない問題があるんじゃないかと思いながら、でも、「それぞれが考えて生きる」ことについて考えr…

あーもう、ほらっ。

全然、分からなくなっちゃたよ。もうっ!!

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正義の話しの終わりはどこだろう…

先日、小さい子供を持つ友人が、「うちの子供たちに触らせてやって欲しい」って、エルとサスケに会いに来ました。

える
える
今日のアイキャッチ画像のお子さん達とは関係無いよ

ペット不可のマンションのため、動物を飼う事は出来ないけれど、(自分が動物好きな事もあって)「小さいころから動物に触れさせておきたい」ということでした。

全然、オッケー!むしろウェルカムです。

その時、

「だから、時々、近所のペットショップに行ったりする」って言葉を聞いて、「それはダメだよ。」って私は言いました。

ペットショップにいる子達は売り物です。

「お迎えを待っている状態」であって、そんな事のために、そこにいるわけではありません。

だから、それなら

「そういう時は、動物園とかのふれあい広場みたいな所へ行くべきなんだよ。」って説明しました。

でも、そうやって偉そうな事を言いながら、頭の中では

「私は動物園には行けない」って、お世話になったアニマルコミュニケーションの先生の言葉の続きを思い出していました。

見せ物としてただ生かされているだけの自分を嘆いている動物さんがいたというお話しです…。

動物園というのは、「絶滅から救うため種の保存をする場所」という位置づけではあるはずですが、「動物たちを使って人間に娯楽を提供する場所」である事にも違いありません。

その話を聞いたからと言って私は「日本から動物園や水族館を無くしましょう」という活動への参加はしません。

むしろ、「せっかくあるのだから利用すべき」とさえ思っています。

…分かってはいるんです。

もういい大人だし、そういう活動に携わってきたから、そういう事はある程度の範囲で分かってはいるつもりなのです。

私はこれまで、ボランティア団体に所属したりして、「動物たちのための」活動をずっとしてきました。

団体ごと消滅・解散したものも中にはありますが、それ以外は全て思うところがあって自分から抜けました。

そのお話しはこちらなど

イキイキした保護活動は根暗な私には向いてない(死んだ猫はそのまま放置の保護活動、他)

私が所属したボラ活動は全て「ペット」と呼ばれる(呼ばれてた、呼ばれるはずだった)動物たちについてのものです。

「野生の動物」についてのものに携わった事はありません。

絶滅した動物や絶滅危惧種に指定されている動物たちのほとんどは人間のせいでその状況に陥っています。

だからといって、森林伐採をやめ、乱獲をやめ…たら、それでしか生きていけない「人たち」の生活は誰がどう保障していくのか等と考えてしまい、そうなったらもうスケールが大きすぎて、その活動趣旨を聞いただけで胸が詰まって

「私にできる事」は、自分に必要のないものは買わない。という事しか無いって、それしか出来ないって思ってしまうのです。

それでも、私は「動物のための活動をしています」って自分の事をそう言います。

「動物のため」なんて言ったら矛盾だらけになる私の哲学

私は毛皮は着ませんが、お肉を食べます。

日本の越冬に毛皮のコートは要らないって身を持って知ってる話し

「劣悪」と言われる養鶏場の様子を見た時、(海外のだったと思いますが)と殺場の音声を聞いた時…

その後、数日から数ヶ月の間は「食べられなく」はなりましたが、ビーガン※のように「食べない」という選択をする事はなく、結局、今は食しています。

※「ベジタリアン=体の健康、ビーガン=思考(動物愛護、世界環境)的なそれにウエイトを置いて菜食主義を貫いている人」って、これは私の勝手なイメージです。
アタチはなこ
アタチはなこ

何かそういう気持ちになるような時には、ロシアのネネツ族の方々に思いをはせ、「だから私も」などと都合よく考え、自分勝手な心の折り合いを付けて生きています。

トナカイと「共に生きる」彼らの話しは24分あたりから

※2018年6月6日、アップロード元の動画が削除されていました。

その詳細は

2017年5月4日放送の『クレイジー・ジャーニー』

奇界遺産の写真家:佐藤健寿(さとうけんじ)さんのお話しですので、DVDなどでご覧頂けたらと思います。

「ペットのため」さえ出来ない私の正義

思うところがあって抜けたとしても、それは「私の考えとは違う」というだけで、それらの団体の活動が間違っていると思う事はありません。

私利私欲にまみれたそれは別として、よっぽどとんちんかんな事をしているそれでも無い限り、どこも皆「動物たちの事を思ってそれぞれの正義」を持って活動しているはずだって分かっています。

私の考えとは「違う」だけなのです。

「犬」について考えた時

「猫」について考えた時

いくら考えても答えが出せないままずっと「今できる事はこれしかないけど、これが本当に正しいのだろうか」と、そのゴールが見いだせないまま、「とりあえずやれる事」をしていました。

「フェレット」について考えた時

そこでやっと、

「私が思う正義」に結びつきそうな

「じゃあ、その為に私に出来る事はこれなんじゃないだろうか」と、薄目が開く程度ででも具体的な答えが出せるような気がしました。

そんな私の事を元の(犬の、猫の)仲間たちが(犬たち、猫たちから)「逃げた」と陰口の対象にしている事は知っていました。

「保護」の対象となる子が犬や猫に比べたら…比べる事もできないほど少ない「フェレットなんか」と面と向かって直接バカにしたように鼻で笑われた事もあります。

向こうの言いたい事は分かります。

陰口を言われるのは気持ちのいいものでは無いし、面と向かってバカにされたらカチンともきます。

でも、私が出来る私の保護活動はこれっぽちの事でしか無いのだから仕方ありません。

続きはここ
愛護も保護もただのエゴ

熱心な愛猫家だった学生時代の友人に「地域猫」についての活動をしないかと誘われました。 ウィキペディアによると 地域猫活動は、1997年に神奈川県横浜市磯子区の住民が、野良猫を増やさないようにと共同で世 ...

誤解されては困るのですが、ワンちゃんやニャンコスの保護活動者さんが全員、そうだという事ではありません。

立場の違いを認め合えれば「違う正義」についての存在も認められる

「フェレットの保護」というより、「私のしている事」や「考え方」を理解した(聞いた)うえで、同じ「動物のために活動してる」と認めてくれている犬の保護活動者さんも猫の保護活動者さんも普通にいます。

実際に、親しくお付き合いをさせて頂いている方だっているのです。

別に誰かに認めてもらいたくてそうしている訳では無いけれど、理解してもらえればそれは素直に嬉しいし、協力してもらえるかもしれない仲間は一人でも多い方が心強いです。

今の日本のペット業界において、「一度、元栓を閉めなければ」という考えのもとで活動を続けている友達がいます。

私は彼女の考え方を認めているし、それに伴う行動力を尊敬もしています。

でも、「私は」それには賛同も協力も「しない」立場にある事はこちらでもお話しした通りです。

check!
フェレット
ペットショップでの生体販売を禁止させる活動に参加しない動物愛護活動者はアッチコッチから非難される。けどさ…ってお話し

毎年この季節になると悲しくなります。 「クリスマスセール」と銘打たれた子達。 「生体販売を禁止にする活動に協力してくれないか」という知人たちからの誘い。 私は動物愛護の活動に少しだけどずっと携わってき ...

彼女は多分それも理解してくれています。

「その事について」話し合いをしたら、私たちはきっと「決裂」しか無いって、お互いに分かっているのです。

だから、それについて…その方向に進むしかないような話しはした事がありません。

でも、お互いがお互いを「それがあの人のしている事」と認めたうえで、協力できるところと出来ないところを分けて、「きちんとした付き合い」が出来ています。

目の前に「保護しなきゃいけない犬」がいたら、その状況云々を考える前に私は真っ先に彼女に連絡をします。

「犬の保護」に関して、私は「彼女の活動」を絶対的に信用しているから、先日もそうさせてもらいました。

そのお話しはこちらです。

迷子犬発見
迷子犬ポスター
保健所はダメで愛護センターは良いって何?【ワンちゃんの飼い主さんが見つかりました】時系列順に見る「犬の保護」と、見せつけられた友人の覚悟

先日まで、ごく数日間だけですが、当サイトのトップページが、「ワンちゃんの飼い主さんを探しています」でした。 この友人とはフェレットの保護活動を通じて知り合ったのですが、プライベートでも仲良くしてもらっ ...

目の前に「保護しなきゃいけないフェレット」がいたら、彼女は迷わず私に相談してくれると思っています。

彼女はあの時、一方的に頼っただけの私に対して

「これからも何かあったら協力し合おう」と言ってくれました。

極一部のそれが重ならないというだけの事で全てを否定したり嫌悪するのは愚かな事なのです。

より良い方法で「目の前のその子のためにできる事をする」それだけで「私の正義」は成立するのです。

これからの正義の話しをしよう

マイケル・サンデルさんの本によると、「正義」に対して「3つの考え方がある」とありました。

  1. 功利主義(最大多数の最大幸福、福祉の最大化)
  2. リバタリアニズム(個人の権利が最優先=自由主義)
  3. 美徳(倫理、道徳的に「正しいかどうか」=共通善)

何が正義かは、個々それぞれによって基準が異なるのです。

基準が違えば、betterは見えない。

話し合うことで、基準を決めていかなければいけない。

だから、これからの正義の話をしようとしているのだ。

って事なんですけどね…

いたちのおうちの正義の話しをしよう

動物園、水族館については「あるのだから利用するべきだ」と考えています。

ペットショップにいる子達は「売り物」という認識で、それ以上でも以下でもありません。

もちろん、そこにいる全ての「動物たち」が安全な環境で十分な愛情が注がれている事が大前提である!と言いたいところですが、そうでは無い場合もたくさんこの目で見てきています。

だけど、「だから無くしてしまえ」とは言えません。

「私にできる事」は「私はこう思う」を自分の中でぶれさせない事だけだって、それ以上を深く考える事さえ止めてしまったりもしています。

もうグダグダなのです…

だから、違うそれと出会った時には、それを認める事はなくても「批判するだけ」みたいな事は絶対にしない。

それがいたちのおうちの「これからの正義」の礎にあります。

そして、その「動物たち」の中の「フェレット」という動物について…

現在、日本国内におられる「フェレットのブリーダーさん」は、それこそ本当に、犬や猫のそれらとは比較にならないほど少ないです。

「無茶な繁殖」も「ブリーダー崩壊」も、その可能性を心配する必要性すら皆無なのが、今の日本のフェレット市場です。

詳細はこちら(普通に売っているフェレットはノーマルではありません(繁殖力はありません))などでご確認頂ければと思いますが、一般的なフェレットに繁殖能力はなく、野生にいるわけでも無いこの子達。

あくまでも推測でですが、いたちのおうちには「こうじゃないか」と思われる子がきた事は何度かありますが、そういう例外を除けば、保護しなければいけないフェレットのそのほとんどは「欲しくて買った人」によって生み出された子たちです。

「そんな程度の数しかいないフェレットで保護『活動』とか笑わせるな」と言う人はいます。

でも、保護しなきゃいけない子がいる以上、私は出来る事をしていきたいのです。

私は「フェレット」という生き物が好きだからです。

今日はタイトルをそう付けたから「正義」だ「哲学」だと仰々しく話していますが、本当はたったそれだけの事なのです。

一時期「やらない善より、やる偽善」という言葉が流行りましたが、「動物たちのため」を語る時、私はそれを都合よく使います。

「これはやらない方が良い」「出来ない」と判断したら最初から手を出しません。

その変わり、手を出すからには、最後まで責任を持つ覚悟だけは持っています。

「フェレット」という限られたたった一種類の動物についての事だけなら、私は「常にその覚悟は持ってる」って言えます。

だけど、そんな事を言ったって、たった一匹のその子に対しての事であっても、何でもかんでもその全部なんてやっぱり出来ない状況の時だってあります。

私が自分一人で出来る事なんてたかが知れているのです。

だから、いつだって、誰かの協力が必要です。

手伝ってくれる人にはそのままお願いもします。

それを冷ややかな目で見る人もいるかもしれません。

だけど、いつでも「頼りにして良い」と言ってくれる、信用できる仲間がたくさんいてくれている有り難い現実があるのです。

その「仲間」が頼ってくれた時は、もちろん、いたちのおうちとして出来る事をします。

それはもう、団体とか何だとか、それこそ、保護活動者と名乗ってなんかいなくたって、「みんな」が「その子のために」って気持ちだけでつながっている「仲間」なんです。

誰が上とか下とか無いんです。

その中で、ちょっとずつ個人同士のそれが違ってくる事は「当たり前」です。

それぞれ個人が持つそれが違っていても「目の前のその子のため」に一番良い方法をその都度話し合ってそれに向かって一緒にしていく。

「目の前のその子を何とかしてあげたい」をそれぞれが出来る範囲で、その「何とか」をする協力を惜しまない。

その子の為に私が「その時」にできる事をする。

これが、いたちのおうちの「今」の正義のお話しです。

まとめ 2018年5月のご報告

1、里親さん募集のお手伝いをしています⇒フェレット【里親さん募集】

2、預かり保護期間(飼い主さんを探している期間)中の保護っ子のお手伝いをしています。なりすまし防止のため、詳細は出しませんが、警察署その他への届け出は提出済。その期間が満了したら、もちろん里親さん募集のお手伝いもさせてもらいます。

この2ニョロのご支援名目でいたちのおうち名義の口座にお振込み頂いたお金は既に一時預かりの保護主さんに全額お渡ししています。

何に使われたか等はお振込み頂いた方とその保護主さんが直接お話ししている事です。

いたちのおうちがその詳細をここで報告する事はありません。

また、使途が分からない・これから使う事になるかもしれない等といった名目でお金を募る活動には、今後も一切、協力しません。

※それは「保護活動」において必要な場合もあるのだと理解はしていますが、「いたちのおうちの保護活動」では無いので協力しないというだけです。

3、手放さなければいけない事情の飼い主さんから何件かご相談を受けています。お手伝いできる事はさせて頂こうと思っています。

そこで…相談をくれた方には、「頑張って良いご縁と繋げてあげて下さいね」とお伝えする事が出来ましたが、もし今ここを見ているあなたが、その子を手放してしまおうと考えているのなら

あなたも、頼って下さい。

どこかへ置き去りにするような事は絶対にやめて下さい。

必読!
天使のフェレット
動物の遺棄は犯罪だからじゃない!フェレットをその辺に置いていかないで!捨てないで!野生では生きていけないからでもない!この子達は人の手が無いと死んでしまう生き物だから!

買い物に行く途中公園の中心に小さな小さなキャリーバックを見つけました。まさかと思い開けてみると小さなフェレットが亡くなっていました。多分何日も独りぼっちで飼い主を待っていたのかと思うと涙が止まりません ...

4、「手放さなければならない理由」が減るように、フェレットの事、フェレットの飼い方、そういう「基本的なこと」をなるべく分かりやすく、「最低限これだけは知っておいて欲しい」事を少しずつですが、まとめたサイトを作っています。

もちろん、そこに書いてある事が全てでは無いし、必ずしも「こうだ」という事ではありません。

その子との暮らしに慣れてきたら「自分のやり方(飼い方)」を見つけていってあげて欲しいし、他にも良い方法はいくらでもある事をどんどん知っていってあげて欲しいと思うんです。

ただ、

「安易にお迎えする」

「安易に投げ出す」

が減るように…と思って、私なりに出来ることを考えた結果がこちらです。

⇒「いたちのおうちの覚書

分からないままお迎えした後の「これどうしたら良いの?」が少しでも減るように、

「もう無理だから手放そう」がなくなりますように…

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