少し気が弱く、犬を飼うのは数十年ぶり、「譲渡」という形でのお迎えは初めて、な里親さん
と
お友達同士でのやり取りとはいえ、「譲渡」は「何十回もしてきた」と言い、「酒と神輿が生き甲斐」だと話す元親さん
での間で行われた、ワンちゃん譲渡のサポートに知人(現役の犬ボラ)たちと入った時のお話しです。
一度、その所有権をボラが受け取りそこから話を進めるという「本来であれば」そうした方がトラブルが少ないとされる方法を取らなかったために、案の定、すったもんだありました。
が、その都度、「サポート」の言葉通り、きちんと話し合いの場を設け、何度も何度も「これで間違いないですよね。契約書通りにお話しが進んでいる事をご理解頂けていますよね」と確認しながら、譲渡は無事に完了しました。
その後、少し、契約書とは違う…というか、何だかちょっと、あらぬ方向でのトラブルが起きかけましたが
「よそ様にくれてやった犬の事はもうグチグチ言わない」という元親さんの言葉で、全てが解決した…かのように思われたのですが、そこから更に数ヶ月後、またもや、「あらぬ方向」からそのトラブルはやってきました。
愛護か愛誤かが決まるのは私たちのそれによってじゃない場合のお話し
最初のお話しから1年と少し経ったある日、突然「犬を連れ戻してくれ」と電話がありました。
会話を録音していたので、そのままの表現を使って箇条書きにします。
- 自分の犬なのに会わせてもらえないなんて初めてだ!頭がおかしいんじゃないか?
- あの女(里親さん)は謝礼の1つも持ってこない非常識な人間だ
- これは騙されて犬を盗られたと同じだ
- でも最初からこうなる事が分かっていたから鑑札や書類は渡さなかった
- だからそれを持って警察に盗難届や被害届を出す
- それが嫌ならあの女に詫びいれに来させろ
- こっちは犬を返してもらう事にしたって構わないんだよ
その間、私からの「ちょっと落ち着いて下さい」や「冷静にお話し出来ませんか?」は全く聞こえていないようで、「ここまで人をコケにしたやり方されて黙ってられるか、このクソ野郎が」で一度目の電話は切れたのですが、そこから一時間も経たないうちにもう一度、電話がありました。
先ほどよりは落ち着いて…というより、人が変わったかのように今度はしょんぼり声で、「信用しているあなたからの紹介だったから、全部お任せしてこっちは何も考えずにあの人に渡した。本当は他にもあの子を欲しいと言ってる人は何人もいたのに。あなたが連れてきた人だからそうしたのに、それなのに会わせてももらえないなんてひどいと思わない?どうにかしてくれないかしら」と言われました。
言いたいことはたくさんあるけど…今更になって急にどうしたんですか?な話
信用して頂けているというのならば、それはそれで嬉しい事ではありますが、毎度毎度の事ながら彼女のそれは相変わらず「そういう問題じゃない」し、「何の話をしているんですか?」でした。
前記事でもその前の記事でもさんざん説明した内容ですので、ここではもう良いかとは思いますが、そもそものきっかけは彼女から「(飼いきれないから)犬をもらってくれる人を紹介して欲しい」と連絡があって、そこから始まったお話しです。
他にも里親希望者さんがいたなんて話は初耳です。
というより、「もう他に頼れる人がいないから名刺を頼って電話した」って私は最初にそう言われていたのですけど…
1つずつ見ていこう
- 自分の犬なのに会わせてもらえないなんて初めてだ!頭がおかしいんじゃないか?⇒「あの子はもうあなたのワンちゃんではありません」
- あの女(里親さん)は謝礼の1つも持ってこない非常識な人間だ⇒譲渡に際して「謝礼」が発生する場合、それは、自身ではもう飼いきれなくなった命を引き受けてもらうわけですから、常識で言うなら「謝礼(ありがとうございます)は元親さんから里親さんに」です。
- これは騙されて犬を盗られたと同じだ⇒「同じではありません。契約書もちゃんと交わした正式な譲渡でした。」
- でも最初からこうなる事が分かっていたから鑑札や書類は渡さなかった⇒「紛失したというのは嘘だったのですね。でももう、あなたが紛失したという事ありきで行ったそれら全ての手続きは無事に完了したとそのご報告もしましたよね。」
- だからそれを持って警察に盗難届や被害届を出す⇒「盗難にもあっていないし何の被害も受けておられないのですから受理されるとは思えませんが…」
- それが嫌ならあの女に詫びいれに来させろ⇒「何に対する『詫び』でしょうか?言ってる意味が分かりませんので行かせません。」
- こっちは犬を返してもらう事にしたって構わないんだよ⇒「ワンちゃんは物じゃないんです。あっちやったりこっちやったり一体どのお立場から「返せ」なんて言っていますか?もうあなたのワンちゃんでは無いんです」
みたいな事は言いませんでしたけど
全て「今、言っても仕方がない(問題の解決に必要がない)」事なので、私は二回目の電話であった「どうにかして欲しい」に対してだけ
「それは具体的にはどういった事になりますか?」と聞きました。
「あの子を連れて会いに来させて欲しい」
(無理だよ…)
ほんのつい数分前に「あの女に詫びいれに来させろ」と怒鳴り声をあげていた人に「会いに行ってあげて下さい」だなんて、とてもじゃないけど言えるわけないじゃないですか。
そんな約束は出来ません。
何か変じゃない?…な話
「もう新しい生活を始めたワンちゃん、やっと慣れてきたその幸せのために、そっとしておいてあげる事は出来ませんか?」と、お話しした途端にまた急に口調が荒れて
「あんたみたいな素人に何が分かるんだ、生意気言うんじゃないよ!こっちは今までずっとそうしてきたんだ!それが問題だなんて言われた事ぁこれまで一度も無いんだよ!」って怒鳴られました。
「つべこべご託並べてねぇで、黙って連れて来させりゃ良いだけだろ。こっちはねぇ、今回の事を無かった事にしたって構わないんだよ、今週中にこっちへ犬と一緒に寄越さなかったらあんたの事も訴えてやるからね、覚えときな」って電話は切れました。
何が起きているのかサッパリ分かりませんでした。
3記事に渡りポンポンポンと書いてきているので分かりづらいかもしれませんが、
前編:トライアル期間中に起きたこと
中編:正式譲渡後から半年くらい経ってから発覚したこと
で、今回のこのお話しはそこから更に半年以上が経ってからのお話しです。
これまでずっと書いてきた通り、その都度その都度、話し合いをしてきているので、よくある「大きな問題を解決させるまでの間にチョコチョコ勃発するトラブル」では無く、そもそも常に「何も問題は起きていない(のに何故かトラブルのような形で話しが始まる)」のです。
毎回アプローチの違いは多少あるものの、(他に目的があったにせよ)、(難癖を付けてでも)「あの子に会わせろ」って、ずっとそれを何かの拍子に思い出したかのように、「さも今、何か問題が起きているかのように」お話しされていること…お分かり頂けますでしょうか?
ただの動物愛護の人間ではもうこうするしか他にやりようが無いんです…の話し
携わってくれたボラさん達含め全員で話し合った結果、とある一つの仮説が持ち上がりました。
その仮説に基づき「彼女に寄り添うことはもう出来ない。それぞれの専門家にお任せして、私たちはそこから何かが起きた場合にその都度それに対応していくしかないんじゃないかな。」という結論に至りました。
それぞれの専門家というのは、例えば、彼女が毎回言う「警察」
彼女がまた犬を盗まれたと思い込み、そこから盗難届や被害届けを出して、もしもそれで何かが起きたら、私たちは証拠を持って「これは正式な譲渡です」と、そこできちんと説明をする。
「これはこういう話でしたよね」と『彼女に』分かってもらう事は、もう、一時のそれでしか無いのであろうと、だったら、それを分かってくれている「第三者」を彼女の周りに増やして、そこからも説明してもらっていくしかないよねって。
私たちは元親さんとはもう何度話しても同じ事の繰り返しになる、もう話し合いにならない状態にあるんじゃないかって、そこに至ったのです。
こういう時、本来は
何かトラブルが起きて、話し合いが平行線を辿るだけの場合
第三者に仲介を依頼する形で「これ以上の時間を割いてもお話しはまとまらないかと思われますので、お互いに弁護士を立ててのお話し合いという事にしましょう」と普通は提案します。
ただ、何度も書いてきているように、そもそも何も、一度も、本当はトラブルなんて起きていないのです。
そもそもの事案が存在しないのですから弁護士に相談も何もありません。
申し訳ないけれど、彼女の思うようにしてもらった先で起きた事に対して「その必要がある場合には」そこで対処しましょうとなりました。
こうして「愛誤」が作られる
その頃の彼女は、さっきまで「もう面倒みきれないから里子にだした」と言っていたはずのワンちゃんの話しを、突然「今は二階のベッドで寝てる」と言ったり、「愛護団体に連れて行かれた」と言ったり、「盗まれた」と言ったりするようになっていたそうで、
ご家族から「うちのばあさん、軽くボケ始まっちゃってるみたいでさ、時々、訳分かんねぇ話始めるんだよね。あんたらには迷惑かけるかもだけど、すいませんね」って言われました。
私たちが立てた仮説通りではありましたが、「すいませんね」と言われても…
私たちは、飼育の継続が困難であるとご本人から依頼を受けた犬の譲渡のお手伝いをしました。
それは、動物愛護の精神に則り東京都の条例に従い正式な形で行われました。
それが事実でそれ以上の事は何もありません。
が、そう認識しているのは、私たちと里親さんと元親さんのご家族だけで、元親さんご本人の中では時々その認識では無くなってしまう…でも、それをどうにかする事は、私たちには出来ません。
それこそ、そういう専門家に任せるべき状態なのでは無いかと思われる事ではありますが、それはご家族の方が決める事ですので、私たちにはもう本当に、彼女に対して直接できる事は何もありませんでした。
もしあるとしたら、あの時、出した結論通り、何かが起きてから「それに対応する」それだけです。
そして、その起きる何かは案の定、私たちの予想通りの形で起きました。
こうやって愛護は愛誤だと拡散されていくんですよねって話
「散歩に連れて行ってやれないからシッターを頼んだだけなのに、愛護の人間が来て犬を連れて行ってしまったって元親さんが言ってるんですけど、どういう事なんですか?」
「愛護団体ってのは一般人の話しを聞かないそうじゃないですか、だから民生委員のあんたから愛護の人達に犬を返すよう言ってやってくれよ、そもそも民生委員のあんたの差し金かなんかだったらしいじゃないか」
「騙して犬を取り上げるだなんて動物愛護の人は動物さえ良ければそれで良いんですか?元親さんが可哀想すぎます」
他にも何件かありましたが、その都度、私はペットシッターだったり民生委員の人だったり、騙して犬を取り上げた愛護の人だったりと、その立場や話の設定はいつも違いましたが、
「動物愛護を語る人間は無情でひどい事をする奴ら」「動物愛護を笠に着てやり過ぎじゃないか」みたいな事は毎回どの方からも言われました。
こちらからの「そうじゃないんです」という話を聞いてくれた人はいません。
途中までは聞いてくれても「適当な事を言うな」と、こちらがデタラメを言っていると怒られて、「やっぱり(動物愛護だなんだという人間は)話が通じないんだな」と途中で電話を切られてしまうばかりでした。
でも、とても繊細なお話しだから…
私は病気については詳しくないのでよく分かりませんが、アルツハイマーという病気の中に『認知機能の一部には障害が見られるものの日常生活には支障が出ない状態のまま静かに進行していく』という周囲に病気だと気付かれにくく発見が遅れがちな種類があるそうです。
【アルツハイマー病によるMCIの臨床的定義】
- 記憶障害の訴えが本人または家族から認められている
- 客観的に1つ以上の認知機能(記憶や見当識など)の障害が認められる
- 日常生活動作は正常
- 認知症ではない
参考:アルツハイマー病による軽度認知障害(MCI)かも?予兆はどんなものがあるの?
彼女がもし、この状態でおられたとしたら、障害がでていない部分でしか接していない方達には彼女がご病気である事は分かりません。
ひどい目にあったと打ち明ける目の前の友達とはまるで食い違う話しをする電話の向こうにいるこちら側が「嘘をついてる」と思うのは当然の事だと思います。
ご家族の方は私に「軽く始まっちゃってるみたい」として、「迷惑かけるかもだけど、すいませんね」とは言いましたが、病院ではっきりそう診断されたとはおっしゃっていませんでした。
だから、ご家族がそう言っていたからといって、きちんとした診断名を聞いたわけでもないのに、そうだとしてお話しをするわけにはいきませんし、何より、もし仮にそう聞いていたとしても、そういう個人のプライバシーに関わるような繊細なお話しをベラベラ周りにしゃべるのは私は違うと思うのですよ…
だから、元親さんがご病気であられようと違おうと、彼女から”そういう”話を聞いからと私にきた連絡には「そうじゃないという事実だけ」をお伝えするしか出来ないんです。
…聞いてももらえないから、伝えようが無いのだけれど。
まとめ
「動物が可哀想だ」という一方的で個人的な感情のみで一般常識からかけ離れた考え方をしたり、時には犯罪行為にもちかい迷惑な行為を平気で繰り返す「動物愛護(を語る)人」は残念ながらいます。
少なからず、直接、目の当たりにした事なんかもありますが、あれらはもう「愛誤」と言われて当然だと、私も思っています。
でも、今回の私たち含め、多くの「愛護を語る人達」というのは
自分たちの活動を社会活動の一環と考えている場合がほとんどなので、その社会のための活動として、焦点をまずは、人間と動物が暮らす「人間社会」に当てているのです。
あくまでも、人が暮らす社会ありきで、その中で、
- 動物たちが適切な環境で暮らせるよう活動します
- 動物が虐げられたり(虐待)、遺棄されたり、しているのならばその動物を保護します
- 今後そういう同じ思いをする動物が「人間社会から」出ないようにするにはどうすべきかを考えます
みたいな事をきちんと法律や条令に則って、人と人との繋がりを大切に、一つ一つの案件を丁寧に丁寧に扱ってきているのです。
私たちが誰かを騙してワンちゃんをどこかへ連れて行った事実はありません。
それでも、まだ…あれからもう一年以上が経った今でも突然、何かの拍子に私の所には「愛護団体が犬を連れ去って行ったそうじゃないか」って電話がきたりする事があります。
(※警察の方にはきちんと説明する機会が持てたので、警察署の方にはご理解を頂けています。)
が、彼女の周りではきっと、これからもずっと、彼女がそういう風にあの一件を思いだす度に「愛誤」だとして話が広まっていくのだろうなと思います。
おしまいに…「愛誤」と聞いても1回だけはチャンスを下さい
今ここをお読み頂いているあなたが、もし今後、「愛誤」の話しを耳にされる機会がありましたら、その愛誤とされる側の人間と話しをする機会がありましたら、
是非一度だけ…最初の1回目だけは、どうか、どうか、偏見や思い込みを持たないフラットな状態で対峙していただけたらなと思うのです。
もちろん、今回のお話しは、ご病気かもしれないという少しレアなケースではありましたが、そうではなくても、世の中にある「愛護」に対する誤解や偏見は、事実に対する少しの認識の違いから発展している場合がとても多いのです。
だから、当事者では無いお立場でそういう場面に出くわした時には、ほんの少し、本当に最初だけで構わないので、愛護側からのお話しを0の状態で聞いて頂きたいのです。
その後の判断は、「お話しを聞いてから」でお願いしたいのです。
ボラ活動に協力の第一歩として、どうか、少しだけお耳を貸して下さい。
よろしくお願いいたします。