平成24年9月に動物の愛護及び管理に関する 法律の一部を改正する法律(改正動物愛護管理法)が公布され、 平成25年9月1日より施行されます。 改正動物愛護管理法では、 動物の飼い主は、その動物が命を終えるまで 適切に飼養する「終生飼養」の責任があることが 法律上明確にされました。
環境省:動物の愛護及び管理に 関する法律が改正されました 〈一般飼い主編〉
前回のお話し
ペットの亡骸(死体)は宅急便(クール便だろうと)では送れません。「どうせ死んじゃうなら安楽死で良い」は違うと思う。
今日のお話しはフェレットの生体その他に関する事ではありません。 こういうお話しが嫌いな人もいるんじゃないかなって分かって ...
で、私は多くの事を学び、色んな知識を得ました。本当にたくさんの事を教えてもらいました。
その中で一番大きかったのは、
「愛情があるなら人はこうするであろう」という私の中にあるそれが、いかに了見の狭い偏った思い込みであったかという事です。
「お金の事ばかり気にするから」とか「非常識な事を言っているから」とか、だからってそれが「愛情がない」という事とイコールでは無いんだって事を知りました。
こちらからお金の請求などをするつもりは無かった(いた家の規約にはそれはありません)のですが
「安楽死で良いって最初に言ったのに勝手に色々治療したのはそっちなんだから病院代は払いません。知り合いの弁護士にも相談済みです。」と先に言われたので、
こちらも弁護士を立ててお金の話しをせざるを得なくなってしまいました。
私達としては、お金は要らないから、きちんと最期まで…サヨウナラの挨拶をさせてもらいたかったのですが、弁護士さんを間に入れてしまったので、当事者同士での話し合いが出来なくなってしまうところでした。
いつまで待っても、相手側の代理人にあたるその人が現れる事はなく、何だかこちらだけが仰々しい感じになってしまいましたが結果的に
「じゃあ15,000円だけは払います」という最初のお約束に戻って、亡骸をご本人が引き取りに来るという形になりました。
こちらの覚悟を都合よく待ってくれる「死」なんて無い
お引き取りに来て頂いた時、元気だったその子の写真を見せてくれました。
「すごく可愛かった。本当はずっと一緒にいたかった。」ってたくさん泣いておられました。
本当に可愛い子だったし、それはそうだろうなあって思いました。
すごく愛情はあったんだって伝わってきました。
「元気で可愛かった時を知ってるから、そんな痙攣してたり苦しんでる姿なんて見くないじゃん!」と言われて
そうだよね…でも、そんなのは皆そうなんだよって、色々と説教じみた余計なお節介を言わせてもらいました。
「終生飼養(飼育)」の責任と覚悟は早い段階で持って欲しいと願います
- ペットは病気になる事があるのだという事
- ペットの病院代は人間のそれよりもお金がかかるのだという事
- 生き物は死ぬのだという事
- 飼い主という立場になったら、それを看取る覚悟と責任を持たなければいけないのだという事
飼い主さんはずっと泣いていました。
「そんなの知ってる。でも、いきなりそんなになるなんて思わないじゃん、普通!!」って言われました。
確かにそうだよなあって思います。
私も泣けてきました。
そういうのはもっと後で、そのうち自然にそう思えるようになるんだって、最初からその覚悟なんて必要ないって、私も昔はそう思っていましたから…
本当の事を言えば、私だって今回、こんなに早くお別れの日がくるなんて思っていなかったから、心の準備なんて出来ていなかったし、
その覚悟なんて全然、本当は持ってなんかいなかったです。
これでも一応、私はペットロスケアアドバイザーの有資格者でもあります。
ペットロス症候群とは? ケア・アドバイザーとして、動物愛護の人として、思うこと、考えること
先日、知人のフェレットが虹の橋を渡ったと聞きました。 その子が患っている事は知っていました。彼女がその子をどれだけ献身的 ...
…ちょっと力が抜けてしまいました。
「もう良いんだよ」って聞こえたのは確かにあの子の言葉だったんだって思う
その子が亡くなった当日は私の信頼しているニョロ友にとって、彼女のその後の生活を決める大事な日でした。
その大事な事に私はガッツリ関わっていて、その連絡をとっている最中の出来事でした。
途中から私の話しになってしまったのに、彼女は自分の事を後回しにしてこちらの心配をしてくれました。
だから全部が終わって落ち着いた時、改めて報告を兼ねて連絡をしたのですが、その時に彼女は言いました。
天使になる準備「つじつま合わせ」でちょっと寄っただけって感じ
私は氣を扱う占い師です。
彼女はヒューマンセラピストと呼ばれるそれではありますが、対象は人だけではありません。
2人とも目に見えないモノを感じとったり、それらとの対話や会話を得意としています。
色々と細かい事を厳密に言えば彼女と私は「全然違う」のですが、これは、そういう類の2人がしたスピリチュアル系でのお話しです。
私たちの考えの基にあるのは「現世は魂の修行の場」という教えです。
肉体(器)を乗り換えて、魂は何度も何度も転生して、より高尚な御霊へと成長していくのだという考えです。
高尚な御霊を「天使」と表現する人もいます。「神に近づく」という意味でです。
他にも様々な言い方、各宗教などによってもその表現は変わってくると思います。
それを「仏」とする教えもありますからね…
宗教上での事はよく分かりませんが、ここでは便宜上「天使」って言わせて頂きます。
私は「神」とか「仏」とか、基本的にどっちがどうとかどうでも良いって考えです。
神も仏も。どっちがどうとか正直どうでも良いけど大切なもの
日本人の多くは「自分は無神論者だ」と言います。 「宗教」というと何か異質で特別な感覚で話さなければいけないような雰囲気が ...
あの子がその時のその場所にいたちのおうちを選んでくれたのかなって思ったら、少し救われる気がします。
天使になるサポートという考え方
飼い主さんの「結局、苦しい時間を長くしただけじゃん」って言葉がずっと頭から離れず
私は自分のした事(安楽死という選択をしなかった事)が正しかったのか分からなくなっていました。
ヒューマンセラピストの彼女が、その子の事を
その子に付きっきりだった、いた家スタッフにも「天使になるにはこっち(現世)で試練なり何なり経験しないといけないから、そのサポートをしたんだね」って言ってくれました。
なるほど、あの時に聞こえた
「もう良いんだよ」はそういう事だったのかなって思いました。
寿命をまっとうさせてあげるのが飼い主の努め
飼い主はその命に対して終生飼養の責任があります。
「最期まで責任を持って飼育する」
これは当たり前の事です。法律上明確にされようがされまいが、そんな事は当たり前の事なのです。
「一生懸命考えてくれたそれが僕たちの寿命」って教えてくれたような気がします
「終生飼養」の考え方は人それぞれだって、本当の意味でそれが分かった気がします。
あの時、「安楽死」という決断を前に、いつまでも「それだけは嫌だ」と言い張る私の目の前で、安心したような顔をして楽しかったよって言ってくれてるみたいに逝ってしまったあの子の死。
それまで頑なに否定的にしかそれを思えなかった私に「こういう考え方だってあるんだよ」って教えてくれた気がします。
今まで、「安楽死を選んだ」という経験談を聞かせてもらう度に言ってきた「辛い選択だったね」って言葉…
これからも言うその言葉は変わらないかもしれないけれど、これからは、その言葉に私の気持ちの本当を込めて「それで良かったんだと思う」って言えるような気がします。
安楽死、延命措置や治療について、何が正解かなんて事は他人には決められない、分からない事です。
その子の命に真剣に向き合って、それぞれが出した結論、それが「終生飼養の責任を果たす」って事なんだと思います。
色んなことを教えにきてくれてありがとうって、あの子に届きますように…
桜 コブクロ
桜の花びら散るたびに 届かぬ思いがまた一つ
涙と笑顔に消されてく そしてまた大人になった
追いかけるだけの悲しみは 強く清らかな悲しみは
いつまでも変わることの無い
無くさないで 君の中の 咲く Love…
WARNER MUSIC JAPAN Official Website⇒コブクロ「桜」
ペットとのお別れはお葬式でも「卒業式」ありがとうと言えるサヨナラにしよう
春はお別れの季節です♪みんな旅立って いくんです♪(おニャン子クラブ「じゃあね」より引用) 行儀よく真面目なんてくそ喰ら ...