「年取ってきたから、もう涙腺グダグダだよ」って言いながら私は最近いっつも何かある度に泣いています。
昔は全然、泣かない…泣けない人でした。
これは「人として経験値0の超未熟者だったから」という事に他なりません。
良いですか?
人というのは生まれてすぐからずっと「自分の事で」しか泣きません。
赤ちゃんは「お腹が空いた」「なんかムズムズする」とかそういう自分の理由で泣くそうです。
思春期にだって「友達が振られて可哀想」ってお義理の涙をチョロっと流す事はあっても、自分が振られた時と同じ気持ちで本気になって泣いたりはしません。
本来、本気の涙というのは自分の為にしか流せないものなのです。
ですが、色々な事を経験して、色んな痛みや何かを身に付けながら人は大人になっていきます。
それは自分以外の誰かと共有できる「思い」になるのです。
「他人の痛みを我が事のように感じられる」
「他人のそれを我が事のように思える」「思いやれるようになる」
それで初めて、他人の為に本気で泣けるようになる。
それが大人というものです。
ですから、それらの経験が乏しいまま生きている人というのは、例えそれが何歳であろうと、平気で誰かや何かを傷付けるような事を言ったり、やったりするのです。
「私、空気読めないんで」って「だから、何だよ?」としか返しようがないド厚かましい口上垂れてたりするその人は、大人とは言えない、ただ年を取ってるだけの人という事です。
いい年して何言ってんの?って話です。相手にしなくて良いと思いますよ、どうせ何も分かり合えないですから、そういう人とは。
まあ、そんな輩は例外として、
この共感能力という大人力が備わっている本物の大人は、それ故に、必然的に「涙もろい」という事です。
ちょっと何かがあると「我が事のように思えて」涙が出てしまう。それが大人。
・・・・
・・
…って事で良いですよね?昭和の皆さん!
老化現象で目玉ら辺の何かがどうにかなってしまってるんじゃないかとかそういう話しじゃなくってさ。
ねえ?そうで良いよねー?
それで良い事にしましょうよ、ねっ?
誰が何て言おうと、私はこれからこの持論を勝手に堂々と胸を張って言っていくって、今ここで決めました。
どうも、こんにちは。
超大人力たっぷりで涙腺ぐだぐだアタチはなこです。
皆がやってるからってあなたもそうして良い理由はどこにもない
そんな私は、自分を普通の人だと思っています。常識人であるよう努めています。
「空気を読む」とか「周りに合わせる」なんてのは得意中の得意なので、その時、その場の状況を冷静に見定めて上手く馴染むなんて事は朝飯前だと自負しています。
ただ…自分ではそう思っていても、タッパがある(167cm昭和のあの頃では高い方でした)せいか何なのか昔から「目を付けられやすい」タイプでした。
学生時代の事
友達皆でちょっとイタズラした時も、何故だか私だけ名指しで叱られたり、誰かの連帯責任をその場にいなかったのに何故だか私だけ取らされる…という、なんとも理不尽な目にも遭ったりしてきました。
「何の連帯?!私、関係無いじゃん!!」と抗議もしました。「何で私だけ?!」って逆ギレした事だってたくさんあります。
答えはいつも、
「お前はなんか目立つんだよ」
「お前はなんか怒りやすい」って…
「はあ?なんかって何?怒りやすいとか意味分かんないんだけど!?全然納得出来ないし!!」
とか思ってはいたけど、当時の教育現場とはそういう所だったんですよ。本当に
まあ、それはそれで良かったんじゃないかと、あの頃の私には合っていたのではないかと今ではそんな風に思っています。
悪友と校則で禁止されているピアスの穴を開けていった時は、案の定、私だけ早々に見付かってそのまま没収されました。
後から知ったのですが、同じような状況で、ピアスの穴が塞がるまで毎日職員室に通わされていたという他の生徒もいたとの事ですが、さすがに私にはそれは無く、その代わりに
卒業式の当日に「式が終わったら体育教官室に来い」と先生から直接呼び出しをくらいました。
「最後までうるせーババアだなあ」とか思いながら行った体育教官室で「卒業おめでとう」と色気のない茶封筒を「家で開けなさい」って渡されました。
触った感じで分かります。それは没収されたピアスです。
ガッツリ糊付けしてあったので、言われた通りに家で開けたその中には、さすが体育教師らしいまったく色気のないルーズリーフ…
そこには
はなこさんへ
貴女には一番怒鳴りました。
貴女は一番可愛い生徒でした。
卒業おめでとう。
って、書いてありました。
ふざけんなよ…
ふざけんじゃねーよおー
ババアアアア。・゚・(ノД`)・゚・。アアーン
卒業式では泣かなかったのに、色んな事を思い出して涙が出ました。
「あいつにまた怒られたよ、クッソ」って言える友達ももうそこにはいないのに…
逆ギレする事ももう出来ないのに…
「お世話になりました」も「ありがとうございました」も、ちゃんと言えなかったのに…
家で一人で号泣しました。
もー!!ふざけんなよおオオオ!!
そのピアスはとっくにどこかへ行っちゃったけど、手紙はちゃんと実家でアルバムに挟んであります。
当時は本当にウザくて全然好きになれなかった高森先生…
この年になって「恩師」として一番最初に思い出すのは貴女です。ありがとうございました。
だから赤信号は渡らない
そんなこんなな「私ばっかり」を散々経験しながら大人になった私は「赤信号、皆で渡れば怖くない!」だなんて、恐ろしくてとてもとても思えません。
だって、多分…私だけきっと轢かれる。
轢かれたうえで「何やってんだこの野郎」くらい言われる、絶対そう!そうに違いない。
そうなった時、赤信号を渡っていたのは私なんだから轢かれても仕方が無いって私は思う。基本的に根は真面目なんです、こう見えて。
だから、怒鳴られて当然だって反省する。「ごめんなさい」って落ち込む…轢かれながら。
もう、そうなったら「皆」は「私以外の皆」になってしまう事も私は経験上、知っています。
だから私は「皆」とは渡らない。皆が渡っていても私だけは渡らない。私が渡ろうと思った時しか渡らない。※信号無視は交通違反です。ダメですよ。
一部の言う「みんな」に巻き込まれた「本当の皆」
いたちのおうちからちょっと離れた所に「ウンコ公園」と呼ばれる公園があります。
「最初は、みんなここでウンチさせるだけだったんだけどね」ってワンちゃんオーナーさんが言っていました。
「皆がここでウンチをさせているのを見て、そのうちウンチをさせる為だけにここへ連れてくる人が増えて…そのうち、持って帰らない人が増えちゃったんだよ」って言う、その人も手ぶらでした。
もしかしたら、マナー袋(ウンチ袋)はポケットに入っていたのかもしれないけれど…
自分のペットのウンチです。
「あの人が持って帰っていないから」なんてのは、自分も片付けなくて良い理由にはなりません。
それが理由なのかは分かりませんが、この前久しぶりに前を通ったら「公園に動物を入れないで下さい」って看板が立っていました。
もともと、犬のウンチだらけだったその公園でうちの可愛いフェレっ娘エルちゃんを遊ばせるつもりなんて微塵もありませんでしたけど、
「遊ばせちゃダメだ」って向こう側から一方的に言われてしまうと途端に寂しい気持ちになります。。。
今でもまだ時々、その公園でリードも付けずにお散歩をしている人を見かける事がありますが…
なんだかなあ…って思います。
今日のアイキャッチ画像
このちょこんとしたお顔がすごく可愛い♡
お花なんかちょっぴりしか無いけど、気にしなーい!
本当に可愛い、うちの娘♡えるちゃん