廊下の真ん中で眠るフェレット

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ペットと暮らす

ペットロスに対する一般的な偏見と不謹慎厨は同類!!虹の橋 雨降り地区のお話し

2016年11月26日

【不謹慎厨】

  1. 不謹慎な言動、行動を故意に行ったり、繰り返す人
  2. 不謹慎な言動、行動を(故意ではなかった場合でも)行った人を執拗に批判し続ける人
  3. 不謹慎な言動、行動を行っていない人まで非難したり批判する人

上記3点は全く意味が異なるのですが、総じて私は関わりたくない類の方々です。

ここではこの「3」の、何らかの悲劇が起きた時、全く無関係なものにまで勝手な道徳心を押し付けたり「被害者感情を考えろ」などと自身がまるでその被害者かのごとく

本当は全く無関係なのにトンチンカンでヒステリックな非難を浴びせたり無意味な自粛を強要する人の事を指します。

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「ペットロス」に対する周囲からの偏見

「死」に対する考え方というのは宗教観や人生観、それぞれによってとても大きな個人差があります。

それが「ペットの死」となると飼育経験の有無、それが過去の体験か進行形のそれかによっても全然違うものなのです。

ペットと死別して悲しんでいるあなたに対し隣人、知人の全てが共感してくれるなどという事は少なく、家族(人間)が亡くなった場合と同様の気配りをしてもらえる事はほぼありません。

特にそういう事を経験していない人の目にその姿は時に大袈裟に見えたり、それを病的だと感じたりして特異な人なんじゃないかと偏見の眼差しを向けたりする事もあります。

でも、それは仕方ないのです。

偏見を気にする必要はありません

理解できない人に理解を求めようとする時ではありません。

そんな風に思ってあなたを追い込まないであげて欲しいのです。

悲しみの中にあるあなたの気持ちと、そんな時に露見したあなたを取り巻く周囲のペット飼育に対する認識の違いは大きなストレスになってしまいます。

そんな物を抱えたままペットロスの時間を過ごす事は、本来であれば時の経過と共に軽くなっていくはずの悲嘆な症状が厭世感へと変わり、身体変調を伴う心的障害に陥ることになりかねません。

だから、それは気にしないようにして下さい。

自責の念など要りません

そんな事を気にし始めると自責の念にかられてしまうようになります。

周囲の言動や対応との差の大きさに疎外感や孤立感を深めてしまうようになり、ペットロスの症状を自ら重くしてしまうのです。

自分の行動がペットの死を招いたのではないか…例えば、病気の治療方針を変えたこと、もしくは介護に負担を感じた瞬間があったことなどに罪の意識を抱いたり自分を責めたりすることになります。

無理やり自分の落ち度を探して「そのせいで死んでしまった」などと思わないで下さい。

そんな風に思ったらそれこそあなたもその子も可哀想です。

虹の橋 雨降り地区

天国の、ほんの、、、ほんの少し手前に
「虹の橋」と呼ばれているところがあります。

この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は、
この地上からお別れすると、みんなそこへ行きます。

そこにはたくさんの自然があり、みんなで走り回って遊ぶのです。
元気な時に自分がそしたように・・・。

食べ物も水もたっぷりあって、お日さまはふりそそぎ、
暖かくて幸せなのです。

病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻します。

傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、元のからだを取り戻します。
…まるで過ぎた日の夢のように。

もう痛くありません。

苦しくもありません。

過ぎ去った過去の日として、、、、

それが夢であったように・・・。

幸せな時間をしばらく楽しんだ後に、ハッと気がつくのです。

何かが足りないと思うのです。

それは自分にとっての特別な。。。。
残してきてしまった大切な人。。。。

その人が、ここにいない寂しさ、物足りなさ。

こんな楽しい毎日なのに、、、、
でも、本当に楽しいわけではないのです。

特別な人がいないから・・・。

そんな気持ちを持ちながらも日々が過ぎてゆきます。



毎日毎日、動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。

でも、ある日・・

その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。

その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに震えはじめます。

突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。

速く、それは速く、飛ぶように。

少しつまづくけど、気にしない。
ただただうれしい気持ちなのです。

そうです!

あなたを見つけたのです。

『特別なあなた』です。

あなたと友は、再会の喜びに固く抱きあいます。

そしてもう二度と離れたりはしないのです。

幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎます。

懐かしいあの感覚

なぜか、笑顔になります。

あなたの両手は愛する友を優しく抱きしめます。

そしてあなたは、信頼にあふれて見つめる瞳をもう一度のぞき込むのです。

あなたの人生から長い間失われていたけれど、

その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。そのぬくもりを思い出すのです。

そして、一生にわたりどこかから見守ってくれたその気持ちに

どう答えていいかわからないままに、ただただうれしいとでも悲しいとでもない

いろんな感情がまざった温かいものが頬を伝うのを感じるのです。

それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです…。


けれど、動物たちの中には、様子の違う子もいます。

打ちのめされ、飢え、苦しみ、

誰にも愛されることのなかった子たちです。

仲間たちが1匹また1匹と、それぞれの『特別な誰か』と再会し、

橋を渡っていくのを、うらやましげに眺めているのです。

この子たちには、『特別な誰か』などいないのです。

地上にいた間、そんな『特別な誰か』は現れなかったのです。


でもある日、『彼』が遊んでいると、橋へと続く道の傍らに、

『誰か』が立っているのに気づきます。

その『誰か』は、そこに繰り広げられる再会を、うらやましげに眺めているのです。

生きている間、その『誰か』は動物と暮したことがありませんでした。

そしてその『誰か』は、打ちのめされ、飢え、苦しみ、

誰にも愛されなかったのです。


ぽつんとたたずむ『誰か』に、愛されたことのない『彼ら』が近づいていきます。

どうしてその『誰か』はひとりぼっちなんだろうと、不思議に思って。。。。

そうして、愛されたことのない者同士が近づくと、

そこに奇跡が生まれるのです。

そう、彼らは一緒になるべくして生まれたのでした。

地上では巡りあうことができなかった、


『特別な誰か』さんと、その愛する『友』として。


今ついに、この「虹の橋」のたもとで、ふたつの魂は出会い、

苦痛も悲しみも消えて、『友』は一緒になるのです。


特別な誰かさんになれなかった『彼』と、誰かに『友』と呼ばれなかった『彼』。

二人は共に「虹の橋」を渡って、それからは、二度と別れることはないのです。




こんな風に、幸せと愛の奇跡に満ちている、「虹の橋」の入り口に、


「雨降り地区」と呼ばれる『特別』な場所があります。


そこではいつもシトシトと冷たい雨が降り、『彼ら』は寒さに震え、

悲しみに打ちひしがれています。

雨は『彼ら』の体に執拗に打ち付けます。

その雨は、体よりも、心に辛く突き刺さるようにしみこみます。

ここに降る雨は、残して来てしまった『特別な誰か』の流す涙なのです。



大抵の子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して、

仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らす事ができます。

ほんの少しの寂しさと、物足りなさを感じながらも…。



でも、1年経っても2年経っても、ずっと「雨降り地区」から、

出て行かない子達もいるのです。

出て行けないのです。


地上に残して来てしまった、『特別な誰か』さんがずっと悲しんでいるので、

みんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。

『特別な誰か』の『思い出』の中にいつまでもいてあげたいのです。

地上に残して来てしまった『特別な誰か』さんと同じ辛い想いをして、

同じ悲しみに凍えているのです。

『彼ら』だって、離れたくないのです。

辛い雨だけど、『特別な誰か』との唯一の共通点なのです。

『彼ら』も、寂しいのです。

いつまでもやむことのない雨が、辛く降りそそぎます。

死は全てを奪い去ってしまうものと考えてしまいがちですけど、

すべてを奪い去るわけではありません。

同じ時間を生き、同じ楽しみや苦しみを分かち合い、

そして何より、、、、、愛し合った記憶は、

『二人』の心から、永遠に消え去る事はないのです。

地上にいる『特別な誰か』さん達の、幸せと愛に満ちた想い出こそが、

「虹の橋」を創りあげているです。


ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。


『彼ら』は『特別な誰か』さんを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。

そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来ました。


命の「脆さ」「儚さ」と「愛しさ」そして、その「尊さ」

束の間の温もりに感じる、慈悲の心を。




その短い生涯の全てをもって、裏切ることなく教えてくれるのです。


癒える事のない悲しみだけを、最後に残したのではありません。


悲しいかもしれませんけど、もう一度だけ思い出してください。


『彼ら』が残して行ってくれた、形にも、言葉にもできない、様々な宝物を。

さよならの前には、ちょっとだけ辛い顔をしてしまったかもしれません。

でも、『彼ら』は、最後に「ありがとう。。。」って言ったんです。

その言葉が届いたかどうかわかりません。

でも、『彼ら』は、最後に「ありがとう。。。」って伝えたかったんです。

だから、今からでも遅くありません。

『彼ら』にとっては、あなたも『特別な誰か』なのです。

だから、「ありがとう」って、もう一度だけ言ってあげてください。

それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。

「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。

「雨降り地区」に、少し暖かい光が降り注ぐようにしてあげてください。

何度も、何度も、、、、

旅立つ『彼ら』を抱きしめて、「ありがとう」って言ったかもしれません。

それでも、もう一度、思い出したらその度に「ありがとう」って言ってあげてください。

「虹の橋」

信じる心のその中に、必ずその場所はあるのですから…。

作者不明

獣医師今本成樹の独り言「虹の橋 今本バージョン」さんより全文抜粋(※リンクを貼っていたのですが、ブログをお引越しされたようで、お引越し先が見つけられず、申し訳ありません)

不謹慎厨のそれも偏見の一つでしかない

「私も酷いペットロスだったけど、救ってくれたのは友人達のいつまでも我が子を可愛がってくれる愛情だった」と友人が言っていました。

至極シンプルだけれど、これに尽きると思うんです。

もちろん、そばについていてあげられるならそれが一番良いかもしれません。

一緒に泣いてあげるのも遠くで想ってあげるのもそれは全部「優しい気持ち」「愛情」です。

先日のマシュタンのお話しの時は私も泣きました。一度も会った事がない子です。

飼い主の気持ちに寄り添ってとかそんなオカルトまがいな話しじゃなくて、純粋に寂しいだろうなって気持ちと私も覚悟しておかなきゃなあという気持ち…老化で涙腺が緩んでいることも関係しているのかもしれません。

それは優しさだとかその類の物ではないのかもしれませんが、それだけで良いと思うのです。

というかそれしか無いのだからそうしか出来ません。

我が家の可愛いフェレっ娘エルちゃんは今日も変わらず元気です。元気に遊び過ぎて疲れちゃったのか廊下の真ん中で眠っています。

そんなエルちゃんが不謹慎だと言われても「え?なんで?」って思います。

「そんなツイートあげられない」あなたがそういう気持ちならあげなければ良いのです。

それがあなたが思う優しさからなのであればそれで良いと思います。

私はそういう風には思わないからそうしてるというだけの事です。

ペットが亡くなったのに呑気に自分のペットブログを更新している私を本人が不謹慎だと思ったらそれは謝らなければいけません。

自粛しなければいけない必要性が感じられなくてもそういう気持ちにさせてしまった事は申し訳ないと思うから、私はちゃんと謝ります。

そうご指摘を受けて私は彼女に今回初めて連絡をしました。

心配して連絡をくれたあなたに一言

私はマシュタンの飼い主さんの知人ではあるけれど、ケアアドバイザーの資格を持つ保護活動者でもあるのです。

それとこれとを絡めて記事にするのを不快に思ってのメッセージなのかもしれませんが、ケアアドバイザーとして一般的なお話しをさせて頂くとともに、保護活動者として「捨てないで」と伝えたかっただけなのです。

それもこれも私の文章力の無さからくるものだと思います。そこはごめんなさい。

でも心配しなくても大丈夫です。ありがとう。彼女は何とも思っていませんでした。

彼女は他人がどこかで勝手に話している何かをいちいち全部自分の事だと思い込んでワーワー言うタイプでは無いのです。

そんなに暇じゃないというのもありますが、今はそんな状況でもないでしょうし、何より利発な子なんです。

だから、安心して下さい。その後ここに来たかどうかは知りませんが「何とも思わない」と言っていました。

偏見と不謹慎厨によって作られるペットロス症候群を無くしたいだけです

彼女からきたLINEです。

かふこLINEスクショ

と言っていました。私の拙い文章力でウダウダ書くよりこの方がよっぽど分かって頂けると思います。

先日からずっと私がお伝えしたかったことはここに全部書かれています。

どうか、あなたの過剰な「可哀想」という気持ちで誰かの前向きを取り戻す機会を奪わないであげて下さい。

フェレット エルちゃん
死を迎えるペットに飼い主が最後にしてあげられること。他人の評価を気にする必要はない

私は 「誰々ちゃんから聞いたんだけど」って話しを信じません。 昔から私は 「誰々ちゃんからこういう話をきいたけど本人に確認して下さい。」って言ってきました。 自分で言うのも何なんですが伝書鳩以下のまっ ...

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