クリスマスフェレット

スポンサーリンク

巷で話題のアレ

駆け付け保護の「是非」とか熱く語る人に限って自分では何にもしようとしていない人。保護活動は「保護して終わり」じゃない!

2016年12月13日

最近、何かと話題の駆け付け警護のお話し(今では忘れ去られたかのような言葉ですが、記事の初回投稿時には話題になっておりました⇒首相官邸:自衛隊の新任務「駆け付け警護」)ではなく、これは私たち保護活動者が遭う

駆け付け保護のトラブル…何も知らない人達から放たれる心無い批判から起きるその後についてのお話しです。

いたちのおうちは迷子フェレットを保護された方にも飼えない事情で手放される方にも、また、レスキュー対象にある子がいるとしても、その全てにおいて

「届けて下さい」という形をとっています。

それが難しい場合のお話しには応相談としています。

迷子らしきフェレット情報をどこかで聞いても捜索活動には出ません。

レスキュー対象のその場へ出向く事もありません。

全員が情報に疎く、それを聞くのはたいがい事態が収束した後だというのが1番ですが、それ以外にもその事を活動内容には入れない理由があります。

それでも、その話を聞いて

「探しに行こう」「救助に向かおう」と思ったらその時はそれぞれが個人として行くだけです。

「フェレットが困ってる」と聞いたらあれもこれも「いたちのおうち」として、本当はちょっと無理をしてでも出来る事は全部してあげたいです。

ただ、それを活動内容にいれた場合の「もし」…何かが起きた時に、

いたちのおうちがいた家として活動できなくなる事は避けたいのです。

だからそれはいた家では「活動内容にいれないでおこう」と最初に決めました。

代わりに、「いつでも」持ち込まれる(要請がある)フェレットの受け入れは出来るようにしています。

いつでもお電話頂ければと思います。⇒いたちのおうち

スポンサーリンク

「頑張って徹夜して、その次の日は一日寝てる」のは「活動」とは言わない

保護活動というのは継続していくからこその「活動」です。

その場その場の臨機応変で柔軟な対応は必要だけれど、その場しのぎの行動でその後にしわ寄せがいくような事があってはいけないのです。

生き物を扱っているのだから。

随分前の事になりますが、保護してあげたいって思うフェレットの情報が入りました。

東京の私が引き取るにはざっと見積もって12~3万円くらいかかる計算でした。

すぐに熱くなる私は上記の事などすっかり抜けてしまい

「何とかなる!保護できる!よし!!」って、その気になってイレギュラー対応を決行しようとしました。

いたちのおうちは、募金や何かで成り立っているわけでは無く、そこにいる全員が出せるお金を持ち寄って出来る事をするだけの小さな小さな個人的なそういう場所です。

「ハナコが個人で勝手にする話だから別に良いんだけど、そのせいで来月、再来月って事業所の運営が金銭的に回らなくなるような事は認めないから。」

「その後またすぐ同じ案件がきたらどうするの?その子は保護してそっちは出来ないとか言わないでね。ハナコはここの責任者なんだから。」

って言われました。

…すみません。

フェレットの体調の事を考えても私の気持ちと行動に、その子を合わせさせるのは最善とは思えないこともあって、

お願いした先へ少しだけ…本当に気持ちだけですが、現金を寄付するという形で私は一時の協力をさせて頂きました。

その後、事情が分かる人に詳細を聞きながら、専門家に教わって然るべき機関に提出する書類を揃える事。

それが私にできる唯一かつ最大の事だと思ったので、私はそれをコツコツやりました。

それからもずっと活動を継続させていくためには無理な事はしちゃいけないんだって、自分たちに出来る事は何なのかの勉強をして、それまでの「動物の愛護施設」を

今の状態「いたちのおうち」としてきちんと形にしました。

駆け付けないのを「何もしてない」って言う人に限って、駆け付けた人を見て「出しゃばり」って言ったりする…理不尽

駆け付けなかった私は

「結局、何もしないんじゃん」と言われていたそうです←全然、知らなかった能天気。

駆け付けられない人達が「お願いします」と託した(駆け付けて下さった)彼女は

「出しゃばり」と言われていたそうです。

どちらも好き勝手な事を書き込める某掲示板サイトでです。

わずかばかりのお金を出したからって、書類を作ったからって、私のした事が「何もしてない」の部類に入ると言われればそれはそうかもしれません。

その子には結局、直接的な事は何もしてあげられなかったのですから…カチンとはきますが、まあ良いです。

でも、駆け付けた方が

「出しゃばり」だなんて、どうしてそんな風に言われなければいけないのか…

まったく理解が出来ません。

見えない所でも活動はしているのです

それはどの保護活動者(団体)でも同じです。

起きた事に対して直接的な事は何もしていないように見えるかもしれません。

でも、

  • 同じことが起きないように
  • 次に起きた時には

そういった事をみんな考えて何かしらの「活動」をしているのです。

いくら「好きでやっているだけ」の活動とはいえ、

あんまり心無い言葉が続くとそれはやっぱり悲しいです。

本当は

「フェレットの事だけ考えて余計な雑音は耳に入れない」くらいの信念があれば良いのだけど、

耳に入ってきた雑音はやっぱり聞こえてはいるのだから、ちょっと悔しい気持ちにもなります。

「出る杭は打たれる」とは言うけれど…

出てもいない杭を無理やりほじくり出して引っこ抜こうとしているようにしか見えません。

「もっと早く見つけてあげてれば…」

「わざわざ遠くから来て車で何時間もかけて連れ帰るなんて…」

「そんな聞いた事もないような病院に連れて行くなんて…」

どうする事が最善なのかその場で何も言わなかった人に限って後からそういう事を言うのです。

「そういう時は普通なら…」

普通じゃない事が起きた時、自分はその普通の場所から動かないから

「普通は」だなんて事が簡単に言えるのです。

それって何かおかしくない?って思うんですよね…私。

「あの時ああしておけば」はその時ちゃんとそうした人しか言っちゃいけない

駆け付け保護について

「する」か「しない」かで言えばいた家はしません。

だから

「ああしておけば」

「こうしておけば」は、例えどんな結果であろうと言いません。

間に合うのなら私は行きます。

スタッフ達も個人で行くと思います。

でも、いたちのおうちはこれまで通り、駆け付け隊の

「その後の事」が活動です。

それを続けていくだけです。

これまでもお願いしてきた事ですが、駆け付け隊はそこにいる「あなた」にお願いしたいのです。

そして、あなたじゃない誰かが駆け付ける事になった時には、その人を「同士」と思って欲しいのです。

本当は保護されるような環境のフェレットがいなくなる事が一番の理想です。

皆そうだと思うのです。

だから皆さんに協力して欲しいのです。

それがどういう結果だったとしても、駆け付けた誰かを何かネガティブな事の対象にしないで下さい。

その結果だけでその子を語らないで下さい。

お願いします。

今日はその時保護されたフェレットの一周忌です。

その時、駆け付けた彼女が

「やっと色んな事が吹っ切れた」と昨夜、私にまでお電話を下さいました。

あの時、彼女が駆け付けてくれたから

「キャンディちゃん」として、温かいベッドの中で優しい目に見守られながら

安心して虹の橋を渡っていけたって思います。

あの時、「頑張れ!」って思ってくれたいっぱいのあなたがいたから

優しい人が迎えに来てくれるまで頑張れたんだし、元気になろうと頑張っていたんだって思います。

キャンディちゃんがベッドで過ごした2年近くの穏やかだった時間を

「中途半端な事をして苦しむ時間を伸ばしただけ」って言う人がいるそうです。

私はそんな風には思いません。

あのまま怖いとか寂しいとかのままじゃなくて良かったって心から思うし

「見付けてくれてありがとう」って言ってくれてるに違いないと思います。

その2年間は幸せだったに決まっています。

キャンディちゃん、いっぱい遊べてるかな?

楽しくニョロっているかな?

もうすぐお友達が行くよ、仲良くしてあげてね。

おしまいに

保護活動には、色んな「活動」があるんです。

あなたが思うそれに当てはまらなくても、それがその人の保護活動だったりするのです。

「何もしない」のが活動だと言う活動もあります。

野生動物の保護なんかでは、当たり前にある事で、その辺りはこちらの記事でもお話しさせて頂きましたが

そんな立派な志とかそんなんじゃなく、ただ何もしないだけの自称保護活動は、大体、何かしらしています。

ワーワー騒いで、現場の邪魔をしています。

冒頭の「何も知らない人達から放たれる心無い批判」これは、身内面したそういう人達だったりするから、質が悪いんだよなぁ…ってお話し。

ベルセルク スクショ
保護ボランティアが言うと炎上【神様に祈るだけでは本質的な問題を解決することはできません】ダライ・ラマの名言

いたちのおうちに「行政による野犬の一斉捕獲に反対する署名活動の協力のお願い」なる書類が届きました。 目を通すと「捕獲された野犬は殺処分されてしまう事が明白です!だから断固として反対しなければいけないの ...

-巷で話題のアレ
-