大流行中の「アマビエ」
江戸時代、肥後の国にて海から「人魚に似ているが、口はくちばしのようで、頭から長い髪のようなものを垂らし、首から下は魚類のウロコに覆われ、3本足が生えている」という妖怪が現れ、出会った人間に「私は海中に住むアマビエである。この先6年間(6カ月とも)は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に見せよ」と予言めいたことを語り、海へ帰っていった。
って、今日のアイキャッチ画像は、そのアマビエ出現の報と、その姿絵を描いた江戸時代の瓦版だそうです。
ゲゲゲの鬼太郎にも登場した事がある妖怪さんらしいのですが、そこまでメジャーでは無かったのかな…?
恥ずかしながら私はその存在を知りませんでした。
Twitterを開くと毎日たくさん出てくる、この姿と「#アマビエ」
なんなら最初の頃はずっと「アマエビ」と読み間違えていて、何かそういう新しいキャラクターかなくらいにしか思っていませんでした。
だから、調べてビックリしました。
『江戸時代より伝わる疫病を鎮めるとされる「アマビエ」が令和弐年、新型コロナウィルスの猛威を抑えるべくインターネットの波間から多くの絵師達に「今こそ描くのじゃ」と再び姿を現した』みたいな流れに、私は感動すらしました。
日本のこの疫病退散の伝承を世界中に届けようとハッシュタグに様々な国の言葉がつけてあるのも見かけました。
こういうの良いなぁ、素敵な事だなぁ、ってすごく好き。
もちろん、「妖怪なんてバカバカしい」って思う方もいるでしょう。
それはそれで良いと思います。
っていうか、どちらかというと私もそっち寄りの考え方を強く持とうとしていた時期があるので、「バカバカしいわ」「信じない」って、すごくすごく分かります。
信じたくて信じたくてたまらなくて悔しいから否定してくれる大人の話しが好きだった
私は「なんかフワフワしたものが見える」子供でした。
時々そんなおかしな事をいう私を心配した両親は何度も何度も目の検査や脳の検査に連れて行ってくれました。
小学校低学年くらいまでかな。
毎回「何も異常なし」とされる検査結果を受けてって事もあるでしょうし、高学年にあがる頃にはそういう事を言わなくなった事もあって、特に肯定してもらった覚えも無いけど、ひどい疑いをもたれたり強く否定された記憶もなく…家族の中ではそれ以上でもそれ以下でもないっていうかなんかそんな感じでこの話は終わっていたと思います。
ただ幼いながらにも、そういう検査を何度も受ける必要がある自分のそれはさすがに病気だとは思いませんでしたが、なんとなく「自分は検査を受けなくちゃならないような人間なんだな」程度に自覚はしていました。
だから、そういうちょっと変わった事を言うと仲間外れの対象になる年齢に差し掛かる前に私は自分のそれを一切誰にも話さないようになりました。
ベラベラしゃべるちゃんと見えてるらしき友達が羨ましくて仕方なかった
小学2~3年生の頃、友達が渡り廊下の隅を見ながら「あ、妖精!」って言いました。
そこでは渦を巻いた小さなつむじ風が起きていました。
彼女の話しによると、あの小さなつむじ風の中から妖精がクルクルっと出てきてふわっと飛んでいくんだそうです。
なんてこった!!
なんで見逃してきてしまったんだと、小さなつむじ風をちゃんと見てこなかったそれまでのボーっと生きてきた自分を子供ながらにすごく悔やみました。
悔しかったです。
「妖精」みたいにきちんとした名称のない何なのかすらよく分からないフワフワしたものしか私は見た事がないのに!ずるい!!って気持ちと、あとはもう純粋に、彼女が言ったその「背中に羽の生えた小さな女の子」が見てみたくて見てみたくてたまらなく悔しい気持ちになりました。
それからは、つむじ風を凝視するようになりました。
いつか私にも姿を見せてくれるんじゃないかって、それは今でもそう思っています。
つむじ風の妖精の話し
つむじ風というのは本来「晴れた日の日中に発生することが多く、地表が温められたことで発生する上昇気流が建物などの障害物に当たって発生する渦巻きのこと。」 です。
あの小さなクルクル風を正式になんというのかは分かりませんが、廊下の隅でクルクルなってるあれもきっと何らかの自然現象の一つなんだろうと、そんな事は分かっています。
分かってはいるけど、何故だか私にはそれが「妖精なんかいない」に繋げられないのです。
幼き日のあの友人は嘘つきではなかったはずですし…
結局、この年までいまだに一度も見た事は無いけれど、自分が見た事が無いからというだけの理由で「だから妖精はいない」と決めつけてしまうより、「つむじ風の中には妖精がいる、だって友達が言ってたもん」って思っていた方がなんか楽しいじゃないですか?
だから私はこれからもずっとそう思うことにしますし、とにもかくにも私は妖精ちゃんが見てみたいです。
UFOの話し
小学5年生か6年生くらいの夏だったか秋頃の話しですが、夕飯時に電話が鳴りました。
受話器の口元を手で抑えた母親から「りえちゃんまだ帰ってないんだって。どこかに行くって言ってなかった?」って聞かれました。
確かにりえちゃんとは夕方まで一緒に遊んではいましたが、解散してからもう2時間以上は経っていたと思います。
最後に一緒にいたのが私という事で母親と一緒にバイバイした場所まで探しに行くことになりました。
途中で他の友達たちやそのお父さんお母さん達にも会いました。
「子供が帰ってこない」って、ちょっとした騒ぎになっていたんです。
でも、りえちゃんはバイバイしたその場所にいました。
声をかけたら、心配する皆を見てなのかなんでなのかは分かりませんでしたが「え?」みたいな顔をしていました。
大きな声で泣きながらりえちゃんのお母さんは怒りました。
「こんな時間まで何してたの!」
「あそこに流れ星みたいなのが見えたから見てただけだけど…?」って普通に答えたりえちゃん。
私とバイバイした後、空に光る何かが見えたから「ちょっと見てただけ」って言いました。
本人は「ちょっと」と思っている間に2時間くらい経っていたという事です。
おばちゃんは「嘘つくんじゃありません」みたいに怒っていたけど、誰だったかのおじちゃんが「こりゃUFOのしわざかもしれないなぁ」って言いました。
…な、ん…だ、と???
悔しい!!!!
数秒前まで私もそこにいたのに、なんで私には見えなかったんだ!!
「ずるい!」って思わず声が出ちゃって、お母さんにその場で叱られました。ごめんなさい。
今から思えば、そのおじちゃんは、あまりにも怒っているおばちゃんや人騒がせだな何なんだみたいに変な空気になってるその場を和ませるために冗談を言ったのかもしれませんし、思春期の入り口でちょっとおませだったりえちゃんは嘘をついていたのかもしれません。
でも、その当時の私にはそんな事は分からなかったしそんな事は関係ないです。
ただただ純粋に心の底から羨ましかったんです。
だって、私だってUFOが見たいです。
「ちょっと見てたら2時間経ってた」とか、そういうのずるい!羨ましいいいいいいっ!
昭和の人にしか伝わらないかもしれませんが、UFOといえば、あの人!
否定する人「大槻義彦教授」にワクワクしてた
最近ではもうめっきりテレビを見る事じたいが減ってきてしまったので最近の事は分からないのですが、ひと昔前には、UFOだ超常現象だって特番がしょっちゅう組まれていた時代がありました。
そんな時には必ずそこにいて、その全てを片っ端から「全否定する」気難しそうなその人が大槻教授でした。
「火の玉が」とか「心霊写真が」なんて言おうものなら、その仕掛けを作って、はい論破!
ポルターガイスト的なあれこれもスタジオで「こうすればそうなります」ってやって見せちゃう。
「超能力者」と呼ばれる人たちのそれも「トリック」として、科学的に全部証明して見せちゃうんです。
信じたいと思うものを全部バッサバッサっと「バカバカしい」って切り捨てていく大槻教授が私は大好きでした。
上手く言えないのですが、信じたいからこそ、やみくもにただそうだとは妄信させてくれないそれに「くっそぅ!」ってハマっていたというかなんと言いますか…
信じたいものを否定する、言うなれば憎き敵のような立場からのそれを私は何故だかいつもワクワクしながら見ていました。
「大槻教授のそれはあくまでもそういう風に超常現象と呼ばれる現象を作る事ができるという証明であって、誰かが経験したその現象が作られたものであったという証明にはなっていない」みたいな「信じたいからこその気持ちだ!」とか今なら格好つけてそんな風に言えたりなんかもするかもですが、
多分、当時の根性ひん曲がったキングオブクソガキみたいな私的には、自分が経験したくても出来ない現象を経験したという人達が羨ましくて仕方がないから、それらを「嘘だって言ってくれるこのおっちゃん好き」くらいのもんだったと思います。
信じたくて信じたくてたまらないから私も見たり直接経験してみたりがしたいんです。
それが出来ないなら「全部、嘘であれ!」って…完全にイソップ寓話の「すっぱい葡萄」状態でした。
むきになって否定するより「そういう事もある」くらいに思った方が私は気が楽だ
そんなこんなで「見せてくれないなら否定してやる!」って、その手の話しをわざわざ拾って集めてむきになって噛みつきまくっていた私は多分、親の目には異常に見えたんだと思います。
中学生になったある時、母が「小さい頃によく言ってたフワフワした何かはもう見えないの?」って聞いてきました。
多分、反抗期と重なっていたから余計にそう思わせてしまったんだとは思うのですが、母親から目を見て「楽しくなさそうで心配だよ」と言われて何も感じない子供なんてきっといません。
何も言えずにいたら
って、なんだ、お母さんも一緒か。
「見てみたい」って、やっぱり親子なんだなぁ…
一生分の否定の言葉をあの頃にもう使い切ってしまったから
その会話がきっかけになったのかは分かりませんが、気付けば私は「そういう事」を「そういう事もあるかもね」と普通に言えてしまう大人になっていました。
今は友達の息子さんと「暖かくなったらカッパを探しに行こう」って約束をしています。
彼はカッパが好きで「会ってみたい」んだそうです。
大人として是非とも会わせてあげたいって思うし、もしも機嫌を損ねて尻子玉を抜かれそうになったら相撲で負かしてやらなきゃならないので最近はYouTubeで筋トレ動画を見たりしています。
筋トレはしませんがイメージトレーニングは欠かしません!
って、いい感じにまとまってきたので、そろそろまとめ
こういうの本当に好き「#アマビエ」からの「フェレビエ」(笑)
Twitterでは本当に多くの絵師さんや作家さん達が「アマビエ」を題材に絵や物語を投稿してくれています。
皆が今のこの疫病と騒動を「鎮めたまへ」と一丸となっている氣を感じます。
そんな中から、私の大好きな作家さんの一人「ナルーズ!」さんの投稿を一つだけご紹介させて頂きます。
もしもフェレットがアマビエだったら#アマビエ#amabie#feretto #furetto#forzaitalia pic.twitter.com/8Ykl9ZNTF1
— ナルーズ! (@narus_2020) March 15, 2020
ヤバい!めっちゃ分かる!!
おしまいの話し
今ってば「見えないもの」に対するあり方がものすごく問われている時だと思うのですよ。
根拠なく過剰に恐れるのは愚かしいことです。
かといって何も備えないのも違います。
自分にできる最大のことをちゃんとやったら、あとは「普通」で良いと思うんです。
要するにこれは
「無駄な買い占めはそろそろ止めましょうね」って話です!
いまだに(3月18日現在)トイレットペーパーが買えないとか、もういい加減にして欲しいです!!
~とっぴんからりんのぷぅ~