前回の閏日…そう4年前の2016年2月29日、その日がわさびをお引き受けした日です。
これは単なる私の勝手な後付けでしか無いのですが、
普段は全然、意識する事も特に無いけれど、それはとても大切な役割を持つもので、そんな風に思う事はなくても、必要な時にちゃんとそこにある…
そんな2月29日という日のそれが、いたちのおうちにとってのわさびと同じだなぁって思ったりして、色々と感慨深いです。
今日は、そんなわさびがアニマルコミュニケーションを通して教えてくれた色々を初めてちゃんと書いてみようと思います。
あの時、わさびの声を聞いて下さったのは、当サイトでは毎度おなじみ、キキのテーブルの前田理子さんです。
アニマルコミュニケーションについてその詳細はこちら『キキのテーブル』ホームページよりご確認頂けたらと思います。
フェレットらしくないフェレットだったわさびがアニマルコミュニケーションで語ったこと
わさびをお引き受けした事によって、随分前から「この時期が来たらこうしよう」と決まっていた、いたちのおうちのあり方を根本から全て変える事になりました。
それは必然的に、事務所の責任者であり物件所有者であった私の生活にも少なからず影響を及ぼす事となりm…「少なからず」なんてレベルでは無いな(笑)
わさびは、私の死生観を大きく変えたモノの1つに入るほどその存在は大きいです。
ただ、それはまだずっと後の事で、「わさびと出会ったこと」それだけで「人生そのもの」が大きく変わった「人間」がいます。
その人間が言う「わさびのお陰で俺は生きられた」は大げさでも何でもなく、彼が今でもここでちゃんと生きていられているのは、あの時、わさびが来てくれたからなんです。
フェレットの愛護施設で救われたのは人の方。いたちのおうちのわさび君とオッちゃんの話し。
今日のお話しは、「人に対して使うにふさわしく無い表現」が多々あるかと思います。 でも、それらは「多くのそういう似たような ...
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フェレットらしくなかったわさびは「ボクはフェレットだから」って誰よりもそう話す子だった
多分、ニョロリストなら…というか、ペットを飼われてる方には何となくお分かり頂ける感覚かとは思うのですが、私たち飼い主の多くは、この子達を「自分の子供」として扱うじゃないですか?
だからだとは思うのですけど、この子達も「自分はパパ・ママの子供」ってちゃんと認識しているんですよね。
で、その時はまるで人間の子供かと錯覚するくらい「ボクは、私は、パパ・ママの子供!」ってなってる事が多いのですけど、理子さんから教えてもらったわさびの言葉には
って、何度も何度も出てきました。
もちろん、どの子もみんな、自分はフェレットだってそんな事はちゃんと分かっています。
分かっているのは私たちにも伝わってくる感覚としてあるのですけど、それを、私たちAC(私はそんな立場にはないけど便宜上)とおしゃべりする時に、あえて、そんな風に言葉にして伝えてくる事って、あんまり無いんです。
いや、ありますよ。
あるんですけど、なんて言ったら良いのかな…上手く説明できないのだけれど、例えば
って、こういう風に言うんです。
そんな風にして、わさびは「自分のこと」をよく分かっていて、フェレットらしからぬ(って訳でもないのですけど)とてもとても冷静な子でした。
わさびが「ボクもやってみたい」と望んだ事は全部フェレットとしてやって良いことばかりだった
上載リンク「出会いの話」にある通り、わさびは最初、キャリーからも出てこないような臆病というか何というか…そういう子でした。
その後、大分経ってから理子さんにセッションをお願いしたのは、もう本当に偶然その機会にドンピシャなタイミングに恵まれたってだけなのですが、一度、ワクチン接種で体調を崩した事があるわさび、もう7歳だし、もし彼が「外はあんまり好きじゃない」とか「他の子がお家に来るのは嫌」って言ったら、もう外出させない、いたちのおうちはペットホテルとしての業務を一回閉めようかね、ってことで
『それを』聞いてもらうはずだったのですが、私のいわゆる雑談とは違い、本物の『アニマルコミュニケーション』では、流石、それだけで「はい、じゃあこれで」と終わりはしませんでした。
この言葉には思い当たる事がたくさんたくさんありました。
いつも「やって良い?」って確認するような…そんなフェレット見たことない
ご飯を食べたい時、どこかに登りたい時、いつも少しだけ開けてある扉の向こうへ行きたい時、ぽんと置かれたカバンや袋の中を覗いてみたい時、等々…
フェレットって「ヤッホーイ!」って一目散にそれをするじゃないですか?
それがフェレットの可愛い魅力の1つじゃないですか?
でも、わさびには、それが無かったんです。
そーっと近づいていって、ちょうどこの写真のように「良い?」って聞いてるみたいにこちらを見るんです。
わさびが変わったのは私たちにもハッキリ分かった
いつもそーっとそーっと確認しながらオドオドして見えたそんなわさびの行動がある時から確実に変わりました。
それはそう、理子さんがニコニコと楽しそうに教えてくれた「えるちゃんとお出かけした時に色々と言われたようですよ」って、この時です。
一人だけこちらに目線を向けているのがわさびです。
そのわさびが覆いかぶさるように、他の子たちと比べて明らかに体一つ分小さいのがえるなのですけど
という言葉通り、おっかなびっくりだけれど堂々としようと、そして、なんだか少し…誇らしげにえるの護衛でもしているかのように見えます。
この言葉もやはり「あぁ、なるほど」「あの事だな」って思えることはいくつもいくつもありました。
例えば、(それが良いか悪いかは別として)悔しい時や遊んで欲しい時は「こうしたら楽しいよ」って、えるがおっちゃんを巻き込んで遊んで良いんだと教えてるんじゃないかと思うような出来事が何度も何度もあったんです。
エスカレートしたフェレットの噛み癖【話せば分かる】顔は痛いからダメ!…?
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理子さんがいう「真っ暗な中」とはわさびの心の中のことです。
そんな、閉じてしまっていた心にもスッと光のように差し込めたのはきっと、えるがそういう子だからなのかなって…ここから先は親バカの手前味噌になるのでまた今度(笑)
生きる気力を失っていた二人
「出会いの話」でお話ししているのであれなのですが、「真っ暗な中」というのは多分、おっちゃんも同じだったんだと思います。
同じだった…からなのかな、わさびはそんな「お父ちゃん」の事をとてもとても心配していました。
ボクはもう7歳(当時)だから(まだ若いエルと同じほどに)長くは一緒にいてあげられないから。
これは、おっちゃんが精神的に脆いところを感じ取ってのそれではもちろんあるのだとは思いますが、その少し前に一度わさび自身が大きな病気を疑われた時、私たちがひどく動揺したのを見ていてきっと、本当に心から思う「お父ちゃんが心配なんだ」だと私には分かりました。
そしてこの言葉を聞いて、何よりビックリしたのはおっちゃん(わさびが「お父ちゃん」とするその人)の反応です。
それなりに長く付き合ってきた中で「えっ?この人ってこんな話し方するんだ?」って多分初めて聞いた彼の心から出てきたその言葉は
「もしかして…俺が心配でスッと逝けなくなったり、わさびは本当はシンドイのに俺がいるから頑張らなきゃって、そのせいで…俺が心配だからってわさびが無理して…自分の存在がいつかわさびが苦しめてしまう事にはなりませんか?」でした。
ふぅっと一度、小さく息を整えた理子さんの目からポロポロっと涙がこぼれて「そんなことになるはずが無いじゃないですか」って、
二人にとってお互いがどれほど大切な存在であるか、どれだけ深いところで繋がっているか…これ以上はその二人だけの大切なお話しにしておいてあげたいのでもう言葉にはしませんが、生きる気力を失っていた二人が出会い、お互いを大切な存在として、相手を生かそう、相手のために生きようと思いあっているそのお話しは、横で付き添いとしてただ黙って聞いているだけのはずだった私の涙腺をも崩壊させました。
おっちゃんも変わった
その日、事務所に戻ってからのおっちゃんは、何だか少しそれまでとは様子が違って見えました。
涙をボタボタ垂らしながら「わさびは好きにして良いんだぞ。もう何も我慢も遠慮もしなくて良いんだからな。そして…いつかその時がきたら、お父ちゃんがちゃんと看取ってやるからな。わさびが心配する事は何もないんだぞ。心配かけてごめんな。でも、それくらいはお父ちゃんにだってしてやれるから安心して良い。ありがとう…ありがとう…」って何度も何度もわさびにそう言っていました。
その前から少しずつ変わってきてはいましたが、多分、この頃からです。
全てにおいて受動的で何を聞いても何でも良いって、理子さんの言葉そのまま、生きる気力がもう無いんだろうなぁって誰の目にも明らかだったおっちゃんは、この頃から「俺は~」って、わさびに関する事以外でも自分の意思をはっきり自分から口にするようになりました。
生ききったわさびにお父ちゃんがちゃんと生きてる姿…見えてるかなぁ?
あの日から2年4ヶ月にあと4日ほど足りない2018年6月25日の朝方、わさびは旅立ちました。
決して長かったとは言えないその時間の中で、わさびは色々な事を私たちに教えてくれました。
1記事じゃやっぱり書ききることなんてとても出来ないですね…
わさびが虹の橋を渡ってからもうすぐ2年になるというのに、わさびの事は今でも目を閉じて思うとすぐそこにいるような気がします。
普段は全然、特に意識することもほとんど無いのですが、何かあるたびに、「わさびだったらどう思うかな」って、わさびの生き様に恥じない選択をしようって、それは私にとってとても大切な価値観の一つを支えるポジションに彼はいつもそっといてくれているのです。
わさびは、おっちゃん(お父ちゃん)が生きるために必要な存在であっただけでなく、私の死生観を変えた大きな存在でもあります。
そんなわさびの、目一杯生ききった軌跡はこちらに
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2018年6月25日 (月) 朝 わさびが旅立ちました 今はまだ、こうしてパソコンに向かってわさびを思う度に画面がボヤけ ...
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わさびについて「もう全部書ききりました」って思う日がいつかはくるのかも分からないけれど、わさびのお話しはまだまだありますので…またいつの日にか聞いて下さい。
ありがとうございました。
健やかなニョロニョロ生活を☆彡