外を見ている猫

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ペットと暮らす

猫をしまえ!命を守るためにはもうそれしかないから!二度と外へ出さないで!

2019年10月25日

いつの頃からかは分かりませんが、台風が近づくと各SNSで「犬をしまえ」という言葉を目にするようになりました。

「物じゃないんだから“しまえ”というな!不快だ!」というような意見も目にしたりもしますが、私的に、これは標語として実に素晴らしいセンスに溢れる一文だと思います。

だって、「ワンちゃんをお家にいれてあげて下さいね」じゃ、きっとこんなにも拡がる事は無かったし、そもそもそれではインパクトがなさ過ぎてまったく伝わらないから注意喚起にも何もなりゃしないですから。

それについては、『ももとじん 小さな甲斐犬と耳の聴こえない雑種犬』の著者であられる「むらかみかづを」さんが

犬をしまえというフレーズは愛犬家のフォロワさんの間で発生したもので、台風の度に外飼いの犬が逃げて迷い犬になったり命を落とす事が増えてるので、やや強い注意喚起の意味と愛情も含めつつネタも絡めた表現です。【仕舞う】「外に出ているものなどを納めるべき場所に納める。適当な所に入れる」

Twitter:もも@momodog22

と、ご説明されていました。

もちろん私も適宜この言葉を使って注意喚起を出したりもします。

今日は、台風とは関係なく、『猫をしまって下さい』というお話を書きます。

そうしてお家の中にしまった猫を金輪際二度と一人では外へ出さないで欲しいというお願いになります。

この記事を書こうと思うきっかけになったあの日、ジワジワとこみ上げてくる感情と恐怖と自分がおかしいのか何なのか分からなくなっていく感覚で初めてスマホの操作が出来なくなるほど手が震えました。

いったん気持ちの整理をしなければ、自分の頭がそのままどうにかなってしまうんじゃないかと思い、知人に送ったlineがこれです。

lineスクショ

文字がきちんと打てていない事は多分、自分でも分かっていたはずなのですが、何せ動揺し過ぎていた時の事なので、全く思い出せません。

今日のお話は少しキツイ内容となります。

でも、「うちは関係ない」って思っている、ニャンコスを外飼いしているあなたにこそ読んで頂きたいお話です。

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外にいる猫が殺される事について正当化しようとできる思考の人が普通の人の中に存在しているなんて思わなかったから

その日は昔からの知人とその他複数名で食事をしていたのですが、何かの話の流れから、つい最近また「2匹の猫が無残に殺される様子がネットに書き込まれていた」という話になりました。

「見てみる?」と手渡されたiPadのそれは、とてもじゃないけどツラツラと読み進められるような内容ではなく、ボタボタと垂れ落ちる涙とこみ上げてきて止まらない吐き気を抑えるのが精一杯で、だいぶ時間がかかりましたが、書かれていたのは、何時間にも渡り虐待し続け絶命する姿までを事細かに実況した挙句「これから川に胴体と四肢を捨ててくる」という文字。

そこにはそれらの文字しかありませんでしたが、その現場とされる確かその付近では最近、子猫の切断された亡骸が複数体発見されているというような事をTwitterで見たような覚えもありました。

怒りや悲しみその他諸々でぐちゃぐちゃになってもうどうにも説明の付けようがない感情であまりにも動揺している私に「そんなに猫が好きなんだ?」って普通のトーンでの質問がありました。

「えっ?」

思いもよらなかったあまりにも斜め上から飛んできたその質問に、涙も吐き気もピタっと止むほど驚いて一瞬冷静になったような気もしますが、私の口から出た答えは「猫が好きとか嫌いとかそういう問題じゃなくて、こんなに酷い事をいnくぁwせdrftgyふじこlp…」って、やっぱりきちんと言葉を発せられない程度には動揺したままでした。

殺しちゃいけない生き物の線引きをしてる…?偉そうに見える…?それは保護活動者が嫌いだからの発言?それとも本当にそう思ってるの?

そこにいるのは特別に変わった趣味嗜好や危ないとされる思考の持ち主達などでは無く、いわゆる「普通の人たち」です。

ただちょっと、動物愛護(保護)者の名を語り行き過ぎた行動をとる人たちをそれらの全体だと捉え、決めつけるような口調で「だから嫌なんだよね」みたいな発言なんかもありましたが、でもそれだって、いたって「普通の感覚」だと私は思っています。

そういう誤解や偏見が多くある事は分かっていますし、そういう目で見られる事にも私はもう慣れています。

だから私がそういう活動をしている事が、ずっと嫌だと思われていたのか、もしかしたらそこに、白昼堂々、人前であるのにもかかわらず感情のセーブを利かせらないというそれを不快に感じさせて火を点けてしまったのかは分かりませんが、そこからは少々語気を荒げた突っかかるような質問攻めにあいました。

「黒ムツの中には、注目されたいがためだけに過激な事を言ったりやったりするだけの精神異常者もいるけど、中には誰にも否定する事なんてできない正論もあるのをあたしは見て知ってるんだけど、そういうのは知ってる?」

※「黒ムツ」=某掲示板サイトにあった生き物苦手板の住人(ブラック(闇の・不正な)ムツゴロウ(動物好きなおじさん)の意味)

「動物を虐待するのに正論も何もn…」

「ちょっと待って、虐待って事はいったん置いといて、あんたはゴキブリを殺さない?」

「…(彼女が何の話をしだしたのか理解ができず言葉が出ませんでした)」

「大金かけて手入れしてる自慢の庭でウンコされたり、翌朝早いのに、子供がやっと寝たのに、盛りだか何だか知らないけど一晩中ギャーギャー鳴かれたりっていう、野良猫のそういう行動に迷惑してる人は実際にたくさんいるし、お気に入りの何かを壊されたり、飼ってた鳥やハムスターを殺されたりした経験があって猫を憎く思ってる人もいる。で、あんたがゴキブリを殺す理由は何?ゴキブリによる実害を被った事が一度でもあるのかって聞いてるんだけど?」

「実害なんてないけど…」

「何かされたわけでも無いのにゴキブリは殺すって事で良いわね?はいじゃあ次の質問。そのゴキブリを殺す時には少しでも苦しまないようにって安楽死的な何かをした?してないわよね?どうせ殺虫剤使ったりスリッパでたたき殺したりでしょ?」

「…なんの話をしてるの?」

「いいから答えなさいよ。気持ち悪いとかどうせそんな大した理由もないくせに自分だって平気で生き物を殺しておいて、猫は可哀想みたいな、そんな感情論振りかざして偉そうにしてるから保護活動とかしてる人があたしは嫌いなの」

「私がいつ偉そうにした?」

確か、最初はこんな流れだったと思います。

こんな流れのそこで「二人ともいい加減にしなよ」と仲間うちからの制止が入り一旦ブレイクはしたものの、双方に火がついたままの状態で終われるはずもなく、少し冷静になりはしたけど、私たちは会話を続けました。

嫌いだからって酷い事して殺して良いはずはないよ、あたしはやらないし、でもそうなる思考はわかる…が私には分からない

「勘違いしないで欲しいんだけど、あたしは別に、だから殺して良いなんて思っていないし、そんな酷い事する人間を許せとも言ってない。あたしだってそんな鬼畜外道は許せないわよ。それは分かってね?」

「でも肯定はできる…と?」

「肯定っていうのとはちょっと違うんだけど、例えばさ、敷地内に入ってきた猫を駆除するのは合法なわけで、そのやり方が虐待とされるやり方だったり殺したりするのは違法ってだけじゃない?加虐趣味なだけの明らかな精神異常者は別として、例えばそれが元々猫嫌いの人だったとして、自分の敷地内で悪さをする憎い猫。そいつを殺したいと思うそういう人間の心理は分かるって感じかな」

「殺したいほど憎く思うのと実際に殺すのとでは全く話が違うじゃん」

「うんじゃあ、質問を変えるね。確か保健所では子猫の持ち込みは即殺処分だったわよね?庭で野良猫が子猫を生みました。それを保健所に持ち込みました、殺してくれと。その行為とその場で毒入りの餌を食べさせて殺しました。合法・違法はさておいて、この二つの行為に何の違いがあるの?」

「ここは法治国家だよ?合法か違法かをさておいちゃダメじゃん」

「良いから、答えて。どっちも結局は殺すのよ?何が違うっていうの?」

対面から真っ直ぐ私に向かって次から次から投げかけられてくる彼女のその言葉たちは、私が知っているはずの言語なのに…ちゃんと分かっている言語なはずなのに、頭に入ってこないというか、

(この人は一体、何を言っているのだろう…)

彼女が私の知っているあの彼女とは別の人なのではないかというような感覚に陥り、そこから発せられる言葉はまるで聞いた事もないどこか知らない国の言葉のような…

って、それくらい、全く何も、頭が処理できなくなっていました。

仲間の一人から「質問が意地悪すぎるし聞いてて不快。もう少し言葉を選びなよ」って、あれは私への助け船だったのかは分かりませんが、その時の私は「あ、皆には理解できてるんだ…」って感想しかありませんでした。

そこから何となくフワッとその場にいた誰かにまとめられて、多分、そんな感じのまま解散したのだったと思います。

あまりハッキリとは思い出せませんが、彼女が私に対して敵意のようなものをぶつけてきたそれよりも、ショッキングな虐待描写のあの文字たちよりも、猫を殺す“その気持ちを分かると言えてしまう人間が普通にいる”という現実が受け止められず、それがすごく怖かった…のかな、それさえも思い出せないのですが、とにかくそんな精神状態で知人に「どうしたら良いのか分からない」と送ったlineが冒頭のあれです。

そんなんだから殺される猫が減らないんだ!猫を守りたかったら、こっちの常識なんか捨てろ!

外を見ているケガした猫

その夜、彼女から「昼間は悪かったわね」って電話がありました。

色んな話しをして、どうして彼女があんな風に意地の悪い質問ばかりをしてきたのかその説明もしてくれました。

その1つとして、

ゴキブリの話をだしたのは、黒ムツの中には実際に、その例を使って自分たちの思考を正当化している人間が多くいる事を知っておけと「現実を見ろ、お前はぬるい、このあまちゃんが!と言いたかったんだ」って事でした。

「酷い事をする人間はいる」と、まずそれを認めなければ命を守る事はできないと。

そして、そういう人間とは話し合いなんかできない、常識も道徳心も価値観もまるで違う、それが正義だとさえ思っているような、決して相容れない、“言葉が通じない”人間がいるという事を「あなたは現実としてきちんと知るべきだ」とも言っていました。

「何が良いとか悪いとか、合ってるとか間違ってるとか、そんな事をいつまでも言っているからひどい目に遭う猫が減らないってあたしは思ってる。そして別にそのためにそうしたって訳じゃ無いけど、昼間のあれでもう分かったでしょ?言葉が通じないっていうのはああいう事。そして残念ながら、そいういう人間は決して少人数ではなくて一定数いる。行動に移す移さないは別としてね。
それをきちんと分かったうえで、じゃあどうしたら良いかを考えて欲しかっただけよ、保・護・活・動・者・さ・ん・に・ね!!」って超絶腹の立つ言い回しではありましたが、それもそうだなって思いました。

んな事ぁ、分かってんだよ!

この後、少しショッキングな写真を載せます。

痛々しい姿を載せる事について批判的な意見がある事は分かっています。

なので、苦手な方はこの項を飛ばして読み進めて下さい。

ただ、今日のお話は「これが現実に起きていることだと、まずはそれを認めること」をテーマとしています。

だから、そのお写真も込みで、アイキャッチ画像からずっとモデルさんをしてくれているこの子のお話を少しさせて頂こうと思います。

この子は、元々がお外で生まれた子でお散歩が大好きな子だそうです。

その日もいつものように一人でお出掛けをして…数時間後に、大怪我をして帰ってきたとの事でした。

こちらのお写真は「腫れが引いて少し落ち着いてきた」時のお顔です。

ケガをした猫

猫が外でケガをした時、一番に考えられるのは、普通は(交通)事故ですが、この子の普段の行動から推測してそれは考えにくいと飼い主さんは最初から考えていたそうです。

目や鼻からの大量出血、折れた(割れた)顎の骨が皮膚を突き破って出てしまっているほどの大怪我…なのにそれらは首から上だけ。

体にはどこにもかすり傷1つない。

そんな不自然なケガは交通事故では考えられない事くらい医者じゃなくても想像はできますが、病院でレントゲンを撮ってきちんと診察を受けた結果は、案の定

「車の事故ではないでしょう」との事。

飼い主さんが色々と調べて回ったところ、猫が嫌いで鍬(クワ)を持って追い払ったり叩いたりする人がいる事が分かったそうです。

もちろん、その現場を見たわけではないから、その人だとは言い切れないし、怒ったり責める事はできない。

だから、これからは「そういう人がいるという事を頭にいれて気を付けるようにする」と言っていました。

アイキャッチ画像(一番上の写真)で左側のニャンコスがハーネスを着けているのがお分かり頂けますか?

気を付けるようにする=「猫が散歩に行くときは人間が付き添う」を徹底している証拠なのですけどね…

言え(わ)なかっただけだ!

何度かこのブログ内でも書いた事がありますが、私は猫のための活動をする保護団体に所属していた事があります。

その詳細はどこかに書いてあるのでここでは省きますが、そこから抜けて保護はフェレットのみに専念すると言った時、「猫達の事を見捨てたんだから、これから先もう一生、二度と猫(の活動)にかかわるな」と言われました。

そんな事を言われたからって私は律儀に聞き入れるタイプでは無いので別にあれなのですが、聞き入れたわけではなく、自分の気持ち的にも「私にはそういう事を言う権利がない」と思ってはいるのです。

猫ボラって本当に大変なのですよ。

保護の対象とする数が桁外れですから…

「外からひっかきまわすな」の一言に尽きるのは重々、分かっているつもりです。

だから…

だけど…

ここらで一発、保護だのボラだの関係なく、知人に絡まれたという絶好の機会を利用して、言いたい事を言っておこうと思います。

猫をしまえ!

ケガをしていた猫

すっかり美人に全回復しました(撮影:little patch)

どんなに周りで「それはダメだ」と騒いだところで、それさえもオーディエンスからの喝采と誤認するような思考の人はいます。

法律上の話やあなたが持っている「当たり前」やその道徳では話しにならない考え方の人はいます。

猫を痛めつける事に自分なりの理由を持ってそれを正義だとさえ思っている人間はいます。

どれだけ逮捕者が出ようとも「虐待」がこの世からなくなる事はありません。

残虐な行為を楽しむ人間はいるのです。

だから、その子を守るには「猫を外に出さない」しか無いのです。

そんな黒ムツ対策だけではなく、交通事故や病気その他、様々な事から考えても「外」は猫たちにとって決して安全で安心な場所ではありません。

一個人として、

ニャンコス達ももう室内飼いが当たり前のペット社会となる事を私は心から望んでいます。

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